杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧

佐伯一麦『散歩歳時記』

佐伯一麦『散歩歳時記』(日本経済新聞社、2005年)を読んだ。本書はこのブログで前にも書いたが、山形新聞夕刊に「峠のたより」と題し、1995年11月から月2回連載されたエッセイを中心に、季節の話題を扱った佐伯の文章を編んだものである。 表紙には、紙飛…

人生は一日で変わる

先日、明石家さんまが画商として無名の藝術家の絵を売っているテレビ番組を見た。その中で、かつてヴォラールという画商がいて、その人がピカソやゴッホを有名にした、などと紹介されていた。画家の人生や名誉に、画商の力は多分に関与する。物書きにとって…

2021年はどうなるか

2020年が終わろうとしているが、振り返ると、とんでもない一年だったと思う。 世の中ではコロナ禍が世界的に広がり、私の仕事にも生活にもけっこう大きな影響を与えた。仕事の方では、これまで当たり前だった業務の進め方、お客さんや同僚との関わり方が変わ…

バルザック「赤い宿屋」

バルザック「赤い宿屋」(『ツールの司祭・赤い宿屋』(水野亮訳、岩波文庫、1945年)所収)を読んだ。これは、1799年、フランス人の医学生のタイユフェルとプロスペル・マニャンが、オージュロー将軍率いる部隊に合流しようとする途上、アデルナハというド…

「マイクロトラウマ」

そんな言葉があるのを最近知った。意味は、微小なダメージが蓄積され深刻な傷となること、またその微小なダメージ自体のことである。 「ちょっとした嫌な経験」は、一度や二度なら大した悩みの種にならず忘れ去られるが、難度も続いて蓄積すると大きな精神的…

職務の束

朝日新聞12月7日朝刊25面「働く」に、労働政策研究・研修機構研究所長の濱口桂一郎氏のインタビュー記事が載っていた。濱口氏は人事制度のスタイルで昨今よく言われる「ジョブ型」の名付け親であり、このインタビューでは、その言葉が「成果主義」の代替用語…

行動

勉強、練習、試合が大切だとこのブログで書いたが、勉強や練習は「努力」で、試合は要するに「行動」だと思う。行動するというのは、他人や、会社などの組織と目的をもって関わることで、そこで、良きにつけ悪しきにつけ努力の成果が出てくるのだ。 時間を作…

自己陶酔はどんな助言も無駄

ある人が、人間は集団の中にいると狂気に陥るらしいと言っていた。狂気というとおっかない感じがするが、その人は連合赤軍事件について語っていたのである。その人は同時に、孤独になることで陥る狂気もあると語っていた。 狂気とまではいかないものの、人間…

オタクの力

仕事の喜び(報酬)は、外的なものと内的なものとがあるようだ、前者は、給料やボーナス、昇進、表彰など人から与えられる物である。後者は、達成感や使命感、好奇心など文字通り内側から出てくる欲求を満たすことである。 あるネット記事を読んでいて、仕事…

「神は天に在り、この世はすべてよし」

そんな言葉を最近、ある人のブログを通して知った。それで調べてみたら、これはイギリスの詩人ブラウニングの詩の一節らしく、『赤毛のアン』の第38章にも出てくると、『アン』を全文訳した松本侑子が紹介していた。 意味は、できるだけのことをやったら、す…

ノウハウの価値と人の価値

こないだある経営者の話を聞く機会があり、その人が、自分の会社では社内にも社員にもノウハウが蓄積していない、と話していた。いわゆる「御用聞き」営業を長年にわたり続けてきたが、けっきょくノウハウなんてないのだと、いくらか嘆きの調子だった。 特許…

頓珍漢

先日テレビのあるトーク番組で、企業活動の裏取引をしていた人が登場して、経験談を披露していた。その中で、ホストの側が、そういう裏取引を進めるやり取りの中で、暗黙の了解のようなものを理解できない頓珍漢な人っているの?と聞いたら、ゲストは、頭が…

試合

先日、ある文学新人賞の応募原稿を投函した。 数年ぶりの新人賞応募だった。いや…どうしてここ数年、応募をしなかったんだと自分を叱り、反省している。 勉強、練習、試合の繰り返しが大事だとこのブログで書いておきながら、私は肝心の小説の「試合」をやっ…

新河岸川のコラム

近所の図書館で「ニュース東京の下水道 Tokyo Sewerage News」No.261を見つけたので読んでみると、連載コラム「下水道れきし旅~古代から現代へ~」の第15回「水質汚濁の激化~高度経済成長と下水道の普及~」に、新河岸川の写真が関連写真として掲載されて…

初冬の都立赤塚公園

初冬のある日、昼間に都立赤塚公園を訪れる機会があった。 公園は秋になるとイチョウの木が黄葉し、とても趣ある景色になる。葉がパラパラ落ちる様子を見ると、『第三の男』のラストを思い浮かんできてアントン・カラスのチターが頭の中で流れてしまうのだが…

タイユフェル

バルザック「赤い宿屋」(『ツールの司祭・赤い宿屋』(水野亮訳、岩波文庫、1945年)を読んでいる。本書には、『ゴリオ爺さん』に出てくるタイユフェルが出ている。タイユフェルは他に『ヌチンゲン銀行』(「ニュシンゲン銀行」)や『麤皮』(『あら皮』)…

30000アクセス突破

先日、このブログの累計アクセス数が30000を突破した。0から10000になるまでけっこう時間がかかったが、10000から20000になるのはそれより短く、20000から30000に達するのはさらに短くなった。1日のアクセス数が伸びているということ。 以前、あるブロガーが…

小池真理子「団地」と団地小説

小池真理子の短篇「団地」(『恐怖配達人 新装版』(双葉文庫、2012年)所収)を読んだ。 これは板橋区の高島平団地を舞台にしたのではないか、とネットでちらほら言われているが、読んだ限りでは高島平よりずっと小規模な団地だろうと思った。 高島平団地を…

佐伯氏

佐伯一麦の『散歩歳時記』(日本経済新聞社、2005年)の「土蜘蛛」は、佐伯自身が「新潮」別冊で歴史小説を書くことになったため、構想を練るため経ヶ峯を巡っていたら蜘蛛の巣を見つけたという体験談から、「土蜘蛛」という言葉を思い出し、土蜘蛛が「佐伯…

本と読者

前野久美子編著『ブックカフェのある街』(仙台文庫、2011年)の佐伯一麦による読書会「夜の文学散歩」の記事には、古井由吉「杳子」にまつわる佐伯の思い出が語られている箇所がある。 千葉の自宅で公文式の学習塾をやっている夫婦を取材しに行きました。取…

佐伯一麦と「労働」

ワイズ出版の『いつもそばに本が』(2012年)は、朝日新聞読書一面に連載された著名人73人の読書エッセイを編集したものである(コーナー名は1993年9月5日から2001年3月11日までが「いつもそばに、本が」、2001年4月1日から2004年3月28日までが「いつもそば…

1000記事突破

先日このブログの投稿数が1000に達した。 我ながらよく続いたなぁと思うが、私より長年にわたり書き続け、10000記事を突破しているブロガーもいるので、べつに大したことじゃないと思っている。 毎日記事を投稿し続けてきたので(厳密には毎日ではないが、投…

書かれたものはすべて自伝

たしかクッツェーが、書くということはすべて自伝だ、とどこかに書いていたと記憶する。面白い言葉だなぁと思った。日記や手記の類い、会社員として書いた業務日報やメール文も、自伝と言えばたしかに自伝だろう。では作家が書いた推理小説、SF小説も自伝な…

毎日書くこと9

最近は疲労とか睡眠の有効性とか脳とかに関する記事や書籍をよく読んでいる。読めば読むほど、自分は脳に悪く、睡眠の質を低下させ、疲労を溜めてしまうことばかりやっているような気がしてくる。実際にはそんなにひどい状況ではないが、悲観的なところもあ…

佐伯一麦と「杳子」

前野久美子編著『ブックカフェのある街』(仙台文庫、2011年)は、仙台の古書店カフェ「book cafe 火星の庭」の店主である著者が、本をめぐる仙台の人々のことを綴った本。その中に、「火星の庭」で2010年2月28日に行われた佐伯一麦の読書会「夜の文学散歩」…

野暮な私小説

「文學界」に連載中の西村賢太「雨滴は続く」の第三十四回(2020年12月号)に、私小説を書く主人公の作風を「野暮」だと書いているところがある。 同じ私小説でも尚と軽んじられるタイプの方の、野暮な作風でもある。月に複数篇どころか、ヘタしたら年に一作…

議論の不毛

会社をはじめ、ある目的の下で複数の人間が活動する集団では、多くの場合、全体を統括する立場の人がいるだろう。その人は、実際に最前線で動く立場の人などに指示を出し、その通りに動いてもらうことになる。言われた側の最前線の人は、指示されたことをき…

「たった一人」

『作家の履歴書』(角川書店、2014年)は、娯楽作家たちの苦労話を多数収録したものだが、その中に北方謙三先生がいる。こんなことを書いている。 作家というのは大勢の読者に向けて書いちゃいけない。たった一人に向けて書く。顔も見えない、だけど孤独だけ…

本との不思議な縁

本というのはたいてい、その中で別の本について言及しているもので、そういうことからも読書は連鎖するのである。そういう例は、思い出すこともできないほど多過ぎて普通のことになっている。最近なら、佐伯一麦の随筆を読んで小池真理子の『無伴奏』につな…

秋の浮間公園

よく晴れた秋のある日、北区と板橋区にまたがる都立浮間公園に行ってきた。 この公園は、現在も近くを流れる荒川がかつて蛇行していて、その中に浮島のように存在する湿地だったらしい。そのことから、江戸時代から「浮間ヶ原」と呼ばれ、桜草の自生地として…