2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧
先日、ブログ記事が200件を突破した。100日を突破したのがついこの間のことのように思う。まさに光陰矢の如しである。 100日突破の記事にも書いたが、ブログネタを出すのはさほど難しくないと思っている。アンテナを高く張っていれば、読書、調べ物、書き物…
会社員をして家族を養う傍ら、書き物をし、それに関する調べ物もする。けれど平日は仕事で、週末は家族に大半の時間を使う。書き物をする時間はほとんどなく、早朝か深夜、少しばかり机に向かう程度。 物事が捗らないといらいらする性格だが、最も捗らせたい…
連載2回目。 →「名前のない手記」(2) →「名前のない手記」(1)
バルザックの長篇小説『ウジェニー・グランデ』(水野亮訳、岩波文庫、1953年)を読んでいる。これは角川文庫版の訳を担当した竹村猛が「著者四大傑作の一」と言っており、ようするにバルザックの代表作だと言えると思うが、では残りの傑作三つは何かという…
「才能とは持続する情熱」はモーパッサンの言葉らしいが、いつそう発言したか、あるいはどの本で述べたことなのかわからない。またこれに似た言葉で、「継続は力なり」がある。いずれも、続けることでいつか花開く、といった意味になる。 私は手書きの日記を…
スーザン・ショフネシーの『小説家・ライターになれる人、なれない人』(同文書院、1998年)をようやく読み終えた。空いた時間にぱらぱらページをめくっていただけだったが、後半は一気に読んだ。 この本は一言でいえば、物を書く仕事をする人が「今日書く」…
東京タワー水族館に行ってきた。1978年オープンで40年経つが、今月で営業終了になるとのこと。都内の水族館にはけっこう足を運んでいたので終わってしまう前に…と思って行った。 ワニガメとかウツボとかデンキウナギとか、獰猛な生き物が目立つ水族館だとい…
佐伯一麦の「プレーリー・ドッグの街」(初出:「新潮」1989年6月号)は、今は新刊では手に入らないようだ。このたび『ショート・サーキット』(福武書店、1990年)に収められているのを図書館で借りて読んだが、これは文庫の方も絶版になっている。 『ショ…
「ストーリーの書き方」というツイッターアカウントがある。文字通りストーリーの書き方・作り方に関する作家の名言のbotなのだが、出典書籍のアマゾンへのリンクもついていて役に立つ。 引用元書籍は膨大な数がありそうだ。私は小説の書き方本はけっこう読…
今日から新連載のはじまりです! 本作は文学同人に所属していた2010年に同人誌で発表した。当時、週刊読書人の同人雑誌評で白川正芳に好意的な書評を書いていただいた。 しかし、今読むとやはり稚拙というしかなく、善悪に近い単純な対立軸で小説を進行させ…
スーザン・ショフネシーの『小説家・ライターになれる人、なれない人』(同文書院、1998年)は、過去の作家や藝術家などの言葉を引き、それに関するショフネシー自身の考えも述べて、小説家やライターの執筆を促す本だ。 その中にリルケの言葉が引用されてい…
佐伯一麦は和田芳恵『暗い流れ』(講談社文芸文庫、2000年)の解説「私小説という概念」を書いている。 『暗い流れ』は、なまなましい官能描写が深く印象に残るすごい私小説で、「文藝」1975年10月号から1977年1月号まで16回連載された。佐伯は文芸文庫の解…
「らくじょういちにち」ではなく「らくじょういちじつ」。「築城三年落城一日」ともいう。企業刊行物の編集・ライターの仕事をしているとよく出くわす言葉。主にコンプライアンスについて経営者が自らの戒めのように言っている。 企業不祥事はもちろんのこと…
スーザン・ショフネシーの『小説家・ライターになれる人、なれない人』(同文書院・1998年)をツイッターを通して知った。この著者のことを私はぜんぜん知らず、元はコピーライター兼編集者でその後、小説家になった人らしいが、書いたものを読んだことも一…
佐伯一麦の『ショート・サーキット』(講談社文芸文庫、2005年)は、佐伯の初期中短篇作品を編んだもの。「海燕」新人賞を取ってデビューした「木を接ぐ」(1984年)から「木の一族」(1994年)までの間の計5作品が収録されている。 そのあとがき「『ショー…
『阿Q正伝』は、魯迅の代表作。私は竹内好訳の岩波文庫(1955年)で読んだが、あまり内容を覚えておらず、話としては面白くなかったんだろうと思う。魯迅はこの作を通して、中国人のどうしようもない愚かさを批判的に描きたかったらしいので、思想的な意味…
連載最終回である。 この作は恐らく七、八年くらい前の、社員の副業を認める企業が増えてきた、という記事が新聞の一面に載っていたのに想を得て書いたもの。ジッドや中上健次も新聞記事に着想して書いたそうだが、新聞記事はたいてい短い文章だから、その周…
ものごとの経緯を伝える叙述は経糸で、ものごとの様子を伝える描写は緯糸。 経糸の典型的な文章はニュースリリースなどの報告・説明で、ほぼ全てが経糸でできている。緯糸の典型的なものといえば短歌や俳句といった詩で、心理や情景が描写によって縷々述べら…
立花隆の『青春漂流』(講談社文庫、1988年)は文字通り「青春」をテーマにしており、二十代から三十代の、著者の立花にとっては若いが一廉の人物になっているプロが複数出てくる。その中に宮崎学という動物カメラマンが出てくるのだが、その幼少時のエピソ…
取材記事を作る仕事ではインプットが大半を占め、アウトプットはごくわずかだと以前書いた。氷山の一角を書くには氷山全体のことを知っているべきだというのも以前書いた。 しかし、インプットを十分なものにしようとするのは結構だが、完全にするのは無理だ…
マーク・ザッカーバーグを描いた、デヴィッド・フィンチャーの映画『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)を先日観たがつまらなかった。主人公がほとんど無葛藤のままサイトづくりに没頭していて、ただ周りがわあわあ騒いでいるだけの話だから。 主人公が思…
永江朗の『インタビュー術!』(講談社現代新書、2002年)は、たぶん十年近く前に読んだ。フリーライターの永江が文字通りインタビュー術について広範囲にわたり述べた本で、いろいろ参考にさせていただいた。 その中で、インタビューの核となる質問は「なに…
人からされて、ちょっと困ってしまう質問がある。「趣味は何?」だ。 そこではいちおう、読書とか映画だよと答えるのだが、他人に、杉本は本と映画が「趣味」なんだ、と思われるとちょっと不服なのである。 本でも映画でも、本当に面白いのはごくわずかであ…
立花隆の『青春漂流』(講談社文庫、1988年)を楽しみながら読んでいる。 その中の古川四郎という手づくりナイフ職人の章で、長崎出身の古川が高校生の時は不良だったというくだりに、こうあった。 「いや、まあ、ケンカもやるにはやりましたけど、どっちか…
連載第6回。 →「アルミニウム」(6) →「アルミニウム」(5) →「アルミニウム」(4) →「アルミニウム」(3) →「アルミニウム」(2) →「アルミニウム」(1)
車谷長吉の『錢金について』(朝日文庫、2005年)は、ある人に紹介されて読んだ。その中に「読むことと書くこと」という、鷗外記念本郷図書館での講演の加筆修正版(初出は「三田文学」2001年冬季号)があり、小説を小説たらしめる「虚点」についての車谷の…
ノンフィクション作家の立花隆は『「知」のソフトウェア』(講談社現代新書、1984年)の冒頭で、長年にわたり生業としてきた自分の仕事は一般論が成立しない世界だと言っている。私はまさにその通りだと考えていて、十人のライターがいれば取材の仕方も原稿…
立花隆の『青春漂流』(講談社文庫、1988年)を読んでいるのだが、冒頭に興味深い箇所があった。 青春というのは、それが過ぎ去ったときにはじめて、ああ、あれがオレの青春だったのかと気が付くものなのである。(中略) それが青春であるかどうかなど考え…
宮原昭夫『増補新版 書く人はここで躓く!』(河出書房新社、2016年)はときどき部分的に読み返している。小説を書いて行き詰まることが多く、その原因を探るとだいたいこの本に書いてあるのだ。 その中で、「『芝居』と『役者』」という章にこんなことが書…
ライターとして仕事をする中で長年にわたり苦しめられてきたことを、ようやく本格的に乗り越えられそうな気がしている。まだ完全に理解したとは言えないので、以下に記すことはちょっと伝わりにくいかもしれない。 上のリンク先の記事にも書いたが、「アツい…