杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

黙説法的描写

立花隆の『青春漂流』(講談社文庫、1988年)を楽しみながら読んでいる。

その中の古川四郎という手づくりナイフ職人の章で、長崎出身の古川が高校生の時は不良だったというくだりに、こうあった。

「いや、まあ、ケンカもやるにはやりましたけど、どっちかというとぼくは軟派の不良で、パチンコをやって謹慎をくらうとか、いや、それより何より、こっちがもっぱらだったんですよ」
 といって、親指を人差し指と中指の間に入れた形のにぎりこぶしをつくって、突き出した。徹夜の勉強というのはしたことがないが、そちらのほうは徹夜ではげんで、フラフラになって学校に行き、授業中に居眠りしているというようなこともあった。

つまりセックスに夢中だったということだが、その種のフレーズは後にも一度も出てこないし、「女の子」という言葉も後に一度しか出ていない。しかし言わんとするところは明瞭に伝わってくる。

一種の黙説法と言えると思うが、描写によって伝えている。普通だと「出て行け、さもないと…」といった使い方をするが、描写による黙説はとても雄弁である。つまり、描写は使い方によってはかなり効果的な表現になるということだろう。