杉本純のブログ

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和田芳恵と佐伯一麦

佐伯一麦和田芳恵『暗い流れ』(講談社文芸文庫、2000年)の解説「私小説という概念」を書いている。

『暗い流れ』は、なまなましい官能描写が深く印象に残るすごい私小説で、「文藝」1975年10月号から1977年1月号まで16回連載された。佐伯は文芸文庫の解説で、自分はこの小説を高校時代に読んだと述べている(佐伯は1959年生まれなので連載期間は16歳から18歳になる時期に重なっている)。

以前このブログで触れたが、二瓶浩明の年譜によると佐伯は29歳の頃、仕事があまりに激務なので小説を書く時間がなく、その鬱屈を紛らわすために古河市の宗願寺にあった和田芳恵の墓を詣でていた。佐伯は、「私小説という概念」でそのことに触れている。

 私事になるが、その地に転居して電機工場で働きはじめた十年あまり前、たまの休日に、高校生のときから愛読してきた(略)和田芳恵の墓への墓参を行なうことだけが、私にとって唯一の文学的な行動であった時期があった。
 本の口絵写真でしか面識のない和田氏の深く皺の刻み込まれた風貌を思い浮かべては、それは工場の熟練した職人とも共通する深く耐えた人の顔立ちだ、と私は感じ入っていた。

ところで、『暗い流れ』は講談社より先に集英社で1979年に文庫化されているのだが、その解説は八木義德が書いている。なんだか奇妙な縁を感じる。