杉本純のブログ

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映画『トゥルーマン・ショー』を観た。

現実と真実

GWは映画を一本観ようと思い、『トゥルーマン・ショー』を観ました。

1998年のアメリカ映画。監督のピーター・ウィアーは、『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985年)や『いまを生きる』(1989年)などの監督もしています。

主演はジム・キャリーで、『マスク』(1994年)や『ジムキャリーはMr.ダマー』(1994年)、『ライアー ライアー』(1997年)などに立て続けに出演し、私の感覚では、本作に出演したのは人気の絶頂期だったのではないか、と思います。

トゥルーマンという人間の人生が、誕生の日から30年にわたり、世界に向けて24時間365日生放送で届けられている、というリアリティ番組の極致のような奇想天外な設定。その事実を知らないのは、番組の「主役」であるトゥルーマンのみで、家族や友人、同僚、周囲の住人や無関係な街の人々に至るまで、全てがいわゆる「仕掛け役」です。

しかし、仕掛け役たちが周到に日常を「演じている」にも関わらず、トゥルーマンをめぐる「現実」にはいくつもの綻びが生じ、トゥルーマンは疑いを持ち始めます。やがて、創られた世界の果てともいうべき、街の外の海に造られた巨大な書割の壁に到達し、非常口のようなドアから外へ出ていきます。

その様子をも見ていた世界中の視聴者は、これまではトゥルーマンの創られた人生に幾度も感動してきましたが、最後には、真実の人生を求めて番組を出て行くトゥルーマンの姿に最高の感動を味わうのです。

トゥルーマン・ショー」は究極のリアリティ番組だったはずですが、実際は人の手によって創られていた現実に過ぎず、本当の真実の方が大きな感動を生む、ということですね。

トゥルーマンは約30年の人生をエキストラたちに囲まれて生きてきたわけですが、それがリアルタイムで放送されている、という設定は、やはり無理があるでしょう。

トゥルーマンは映画の中ではごく平凡な一般会社員として生きており、それがずっと放送されているわけですが、では思春期の性行為や暴力行動はリアルタイムで放送されていたのか。あるいは病気やケガや事故などはどう描いたのか。病気、ケガ、事故などは全てエキストラによって防止できたでしょうけれど、性や暴力は止めようがなかったように思えます。まぁ、エキストラの演技などによって巧みに心理操作や思想教育がなされれば、そうした逸脱行為も防止できたのかもしれません。

とはいえ、そもそも、私のそのような疑問は、本作を観る上ではナンセンスなのでしょう。本作は、そういうことは承知の上で制作された、一種のSFというべきでしょうか。

トゥルーマンの妻を演じる女性が、シリアスなシーンでいきなりココアのコマーシャルをするところは大笑いしました。