杉本純のブログ

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板橋区立美術館「シュルレアリスムと日本」

板橋区立美術館に行き、「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」を見ました。

私はシュルレアリスム作品の良い鑑賞者ではない

シュルレアリスム宣言』とは、フランスの作家アンドレ・ブルトン1924年に発表した著作です。私は以前、フランス文学者の巌谷國士が訳した『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(岩波文庫、1992年)を持っていましたが、ついに読まずじまいでした…。なお私の以前の同僚に巌谷に大学で教わったことがあるという人がいました。その話を聞いた時は、へぇーと思ったものです。

さて、シュルレアリスムとは日本語ではたしか「超現実主義」というはずです。ブルトンの『宣言』にはシュルレアリスムの定義が記されているらしいですが、私は漠然と、非現実的な風変わりな作風の絵や文学作品、というくらいにしか理解していません。

私は昔、澁澤龍彦に惹かれていましたし、ダリの絵もけっこう好きですし、『アンダルシアの犬』も観ましたし、ランボオの「イリュミナシオン」には心打たれました。とはいえ、シュルレアリスムとはその程度の関わりしかなく、ワナビをこじらせた挙げ句、私小説などの、どちらかというと「リアリズム」の方に強く傾倒していったので、シュルレアリスム作品の良い鑑賞者とはいえません。

絵は好きなように観ていい

でも、今回の企画展、率直に言って面白かったです。

靉光「眼のある風景」、杉全直「跛行」、福沢一郎「他人の恋」、山下菊二「新ニッポン物語」、桂ゆき「土」など、良かったですね。

ただ、全体的にはやはり「暗い」という印象を受けました。大半の絵は、作者は神経を病んでいるのでは?と思わせるものでした。

現代人は情報の海の中で脳と眼が疲れていますが、百年前の人々は帝国主義とか、共産主義とか革命とか、喧しいイデオロギーと暴力に疲れ切っていたんじゃないかな、と漠然とですが感じました。

画家たちは、乱暴で鈍感な世の中にあって、繊細な感性と技術を活かして自分の世界を構築しようと必死だったのでは…と。私のそんな推察が少しでも的を射ているのであれば、やはり藝術家や作家というのはいつの世でも生き方は同じなのでしょう。

とまぁ、自分の好き勝手に読み解いた企画展でしたが、絵画というのはそういう向き合い方でいいと私は思っています。

企画展は4月14日まで。