杉本純のブログ

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日比谷図書文化館 特別展「複製芸術家 小村雪岱 ~装幀と挿絵に見る二つの精華~」を見た。

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先日、内幸町に足を運ぶ機会があったので、日比谷図書文化館に立ち寄り特別展「複製芸術家 小村雪岱 ~装幀と挿絵に見る二つの精華~」を見た。

小村雪岱というと、泉鏡花の本の装幀を多く手掛けた人として記憶している。かなり以前、NHKの「テントでセッション」とかいう番組があり、週間ゲストとして美輪明宏さんが出ていて、最終日が松岡正剛さんとのペアだったのだが、そこで松岡さんが雪岱の絵を紹介していた。とても洗練された絵で、いいなぁと思ったのを覚えている。それがこのたび、日比谷図書文化館で特別展をやるというので、見に行きたいと思っていたところだった。

雪岱展は他に、三井記念美術館でも開催されている。今は雪岱となにか関係がある時期なのだろうか、と思ったら、雪岱は1940年没であるらしく、2020年が没後80年にあたっていた。

さて、鏡花といえば長編小説『日本橋』である。私は以前、あるライターが「泉鏡花狂言日本橋』」などと書いているのを見て、「きょ、きょうげん?…」と啞然としたことがあるのだが、『日本橋』は小説家・鏡花の代表作品と言える長篇小説である(狂言として上演されたのかも知れないが)。そして、その本の装幀をしたのが雪岱だった。今回、実物が展示されていた。

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いい。すごくいい。

私はデザインとか装幀については完全な素人だが、鏡花の作品の世界を「粋に」表現していると感じる。こういうのを「洗練」というのだろう。

近年は出版不況で、電子書籍がどんどん出てきている状況でもあり、本の価値がかなり変質しているように感じる。そして私自身、紙と電子で自費出版をしようと考えているのだが、紙の本の価値ってなんだろうと改めて考えることがある。私見だが、今回、雪岱の特別展を見て、「モノ」としての本の価値、というのを感じた。少なくとも、これは電子書籍の便利さとは違う価値だろうと思った。

また漠然とだが、藝術的な装幀を施されるには、小説そのものがユニークな作品世界を確立させていることが大事じゃないだろうか、とも思った。その意味で、鏡花の作品は雪岱の装幀にかなう世界を築いていたと言える(褒めすぎだ…)。

他にも、里見弴や川口松太郎吉川英治の本の装幀や挿絵の類が多数展示されていて、どれも味わいがあってよかった。小規模ながら密度の高い展示だったと思う。

雪岱という画号は鏡花から授けられたものであるらしい。本名は安並泰助だが、旧姓が小村で、安並雪岱では語呂が悪いから旧姓にするよう勧めたのも鏡花であったそうな。知らなんだ。