杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「如意にならぬが浮世かね」

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泉鏡花の小説を読み始めたのは大学に入ってからだ。

最初に読んだのはやはり「高野聖」(『歌行燈・高野聖新潮文庫、1950年所収)で、次いで澁澤龍彦編『暗黒のメルヘン』(立風書房、1990年))で「龍潭譚」を読んだり、澁澤が最初に感動したらしい「照葉狂言」を読んだりした。谷崎潤一郎がシナリオ化した「葛飾砂子」なんかも読んだ。

筑摩書房「明治の文学」シリーズは、全体の編集は坪内祐三だが第8巻「泉鏡花」(2001年)は四方田犬彦が編集している。たしかこれも大学時代に手に取ったはずで、帯に書かれている「如意(まま)にならぬが浮世かね」は、本アンソロジー所収「義血侠血」に出てくる。

この短篇は溝口健二監督の映画『瀧の白糸』の原作で、他にも新派劇やテレビドラマやオペラにもなっているようだ。

台詞は、法律の勉強をしたいが東京にも行けず越中高岡の馬車会社で乗合馬車の馭者をしている男が、女に身の上話をする中で言う言葉で、私はこの言葉がけっこう好きである。

そう。世の中は思い通りにはならない。明治時代と今ではだいぶ環境が違うのでずいぶん事情も違うだろうけれど、本質的にはそう変わらないようにも思う。

この言葉が好きなのは、(小説を読めばわかるのだが)世の中が思い通りにならないのは悔しいのだが、主人公の男はさほど悶々とはしておらず、自分の辛い状況を相手の女にさらりと言ってのけるところだ。そこには鏡花らしい、気っ風の良さというか、潔さのようなものがあるように私は思う。世の中は思い通りにはならない。それは仕方ない。それでも前を向いて進んでいこう、といった気持ち良さがある。

世の中も他人も思い通りにはならず、思い通りになるものと言えば、せいぜい現在の自分だけだ。だから未来を変えるには、現在の自分から変えるしかない。