杉本純のブログ

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小池真理子と新福正武と『無伴奏』と佐伯一麦

佐伯一麦『散歩歳時記』(日本経済新聞社、2005年)の「めひかり」には、佐伯が東京からやってきた編集者と自宅で宴を開き、「めひかり」という小魚などを御馳走したエピソードが出てくる。

その編集者は東北大学で電子工学を学び、後に編集者になった異色の人だそうで、学生時代は仙台の安アパートに住んでいたようだ。

名前は出てこないのだが、「七月に出す新刊のゲラと装幀の見本を携えて、東京から」訪れた、とある。また、

 どちらかというと下戸で寡黙な彼が、ショットバーでマティニを三杯も飲んで饒舌に執筆を勧めて、小池真理子の仙台を舞台とした長篇小説『無伴奏』が生まれた話は、小池さん自身がどこかで書いていた。

ともある。

まず「七月に出す新刊」だが、この随筆「めひかり」は山形新聞2001年5月8日夕刊に掲載されたもので、同年7月に出た佐伯の新刊は『無事の日』(集英社)である。そして小池の『無伴奏』は、同じく集英社から1990年に刊行され、1996年に集英社文庫になり、そして2005年に新潮文庫になっている。

この時点で「編集者」が集英社の編集者だったのは間違いないが、気になったので『無伴奏』を読んでみると、小説の後に「あとがきにかえて」という文章があり、『無伴奏』誕生の経緯が紹介されている。

編集者は新福正武という人で、大学時代を仙台で過ごした、下戸で寡黙、などと書いてあり、佐伯の記述と重なる。ショットバーのことは「都内のワンショットバー」とあり、本当にマティニを3杯飲んだようだ。小池は父親の仕事の関係で子供の頃から関西や東北へと移り住み、1967年に仙台の高校に編入し、1970年に東京に出た。新福は大学卒業後もしばらく仙台に留まり、1969年の終わりごろに上京したので、小池とは2年間同じ街に住んでいた。二人はワンショットバーで仙台の話で盛り上がり、それが小池の創作意欲を掻き立てたのだという。

無伴奏」とは仙台にあった喫茶店の名前だが、「あとがきにかえて」が書かれた1990年の時点ですでになくなっていたようだ。長篇小説『無伴奏』は、1960年代の仙台を舞台にしたもので、学園紛争などが出てきて、主人公は小池のほぼ等身大の人物、友人をモデルにした人物も出ているというから、私小説に近いものと考えてよさそうだ。