杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

毎日書くこと

小説の書き方本や「公募ガイド」の作家デビュー特集などを見ると、こんな本がオススメという風に、別の書き方本が紹介されていることがある。スティーヴン・キングの『書くことについて』(小学館文庫、2013年)を、その中で数回見たことがある。 この本は20…

日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング」

霞ヶ関駅近くに用事があって行ったので、「霞が関ビルディング」を撮った。地上36階、地上高147m。日本初の超高層ビルである。「東京人」5月号のビル特集にも登場している。 「東京人」によると、当初の計画では9階建てだったが1961年の旧都市計画法改正に…

映画『ピーター・ラビット』を観た。

先日、映画館に出かけて映画『ピーターラビット』を観た。私はポターの絵本の方を恥ずかしいことにぜんぜん知らないので、映画のハチャメチャな内容がどれだけ原作に忠実なのかはわからない。 ピーター・ラビットと兄弟たちが、近くに住んでいる意地が悪い住…

「高島平グリーンテラス」に行ってきた

昨日、高島平駅前で開催された「高島平グリーンテラス」に行ってきた。子供を対象にしたワークショップが複数開催されていて、賑やかだった。高島通りの向こう側では高架下のスペースでは「高島平マルシェ」が開催されていて、多くの人が行き来していた。 「…

一生懸命に勝つ芸はない!

『全集 黒澤明』(岩波書店、1987年)は、映画学校に入学する間際くらいだったと思うが、全6巻の箱入りセットで買った。その内の3巻と4巻は、黒澤映画が好きだった韓国の友人に十年以上前に贈った。だから私の家には現在、1、2、5、6巻の四冊だけがあるとい…

実存と構造

三田誠広『実存と構造』(集英社新書、2011年)をざっと読んだ。この人の「ワセダ大学小説教室」が面白かったので、本書も手に取ってみたのだ。 前半は実存主義と構造主義の流れを辿るヨーロッパの思想史のようになっていて、後半では大江健三郎と中上健次の…

短篇小説「オレ」

2008年にテーマを与えられて書いた。 冒頭を読むとわかるように、ポオの「ウィリアム・ウィルソン」に影響を受けて書いたもの。習作だがわりあい気に入っている。 →短篇小説「オレ」

脳の疲れ

脳のことは日進月歩で研究が進んでいるようだが、まだ半分以上わかっていないとも聞く。脳は眠らない、なんていう本もあったはずだ。 私は脳のことはぜんぜん知らないが、物を書く仕事をしていて実感するのは、明らかに脳が疲れている、疲労で脳の働きが鈍っ…

水上勉の川端賞受賞作

水上勉『寺泊・わが風車』(新潮文庫、1984年)は、仕事で外出したついでに神保町に寄って購入した。もちろん古書。かつ、今やけっこう珍本だと思う。 表題作は第4回川端賞受賞作。雪の降りしきる漁村で、獲れたばかりのカニの即売する売場の人だかりの中に…

名前フェチ

「名字由来net」という面白いサイトがある。日本人の苗字99%の由来を掲載しているというすごいサイトで、名前フェチである私は珍しい苗字の人に会うと楽しくなり、ここを見て調べることがある。 私は愛知県岩倉市の出身で、岩倉団地という団地で育ったが、…

人間の探求

矢作勝美『伝記と自伝の方法』(出版ニュース社、1971年)を読んだ。 これは「印刷界」という雑誌に連載された「社史・伝記類の編集・製作」(1966年1月号-1969年2月号)に修正加筆を施して出したものだ。伝記や自伝の具体的な作り方の記述は、分量的には本…

愚作を直して名作へ。

西永良成の『『レ・ミゼラブル』の世界』(岩波新書、2017年)は、ユゴーの『レ・ミゼラブル』の成立事情を、その中の「哲学的な部分」と呼ばれる、ストーリーとは直接関係のない、小説としては余計と思われる部分を切り口にして解説している。西永は、『レ…

こじらせワナビの回顧

私は十代の頃から広い意味での「物書きワナビ」で、長いこと成就していないという意味で、完全に「こじらせ」てしまっている。そう自覚しているんだからまだ改善できる、突破口はあると思っているのだが、そういう心理状態そのものがまたひどい「こじらせ」…

短篇小説「ひとりごと」

2007年にテーマを与えられて書いた。習作の域を出ていない。 「セプテンバー11」という映画でショーン・ペンが監督した短篇に影響を受けたようだ。 ある人から、主人公のナルシシズムを批判されたが、当たっている。この作品は、当時の私がかなりレベルの低…

インタビューは下手

ライターの仕事をしていて最も楽しいのは、やはりインタビューである。しかし、私はインタビューがそんなに得意ではないし、上手くもないと思っている。 私の周囲のライターには私よりインタビューが上手い人が何人もいるし、その人の取材に同行してインタビ…

迷いと決断

映画学校の演出ゼミで教わった映画監督の言葉で、今も覚えているものがある。 「リハーサルではなるべく多くの人から意見を聞け。しかしいざ本番となったら誰の言うことも聞くな」 これは映画監督という仕事の厳しさを物語るだろうし、一人の人間としてもの…

ニュー新橋ビル

新橋の方に行ったので、「東京人」5月号の特集「ビル散歩 1960-70年代」に載っていた「ニュー新橋ビル」を見てきた。 1971年竣工。設計は松田平田坂本設計事務所(現・松田平田設計)というところで、駅ホームからも見える外観がとにかく特徴的である。 この…

佐伯一麦、佐伯麦男、佐伯亨

ある人物に関する、同じ時期の出来事を書いた複数の記事を並べて見ると、両記事が不足情報を補い合って、その人物のことが立体的になってくることがある。 岩波書店編集部編『私の「貧乏物語」』(2016年)は、日本に長く続いている経済的閉塞感と、河上肇の…

中山隧道と『掘るまいか』

土木学会編『日本の土木遺産』(講談社ブルーバックス、2012年)をパラパラ読んだ。その中に、新潟県長岡市の「中山隧道」が載っていて、どこか懐かしい気持ちになった。 中山隧道は長岡市と魚沼市の市境に通る手掘りのトンネルで、全長が922m(貫通時)あっ…

山崎豊子の直木賞受賞作

私は直木賞受賞作を全部は読んでいないが、その中で好きなのは何かといえば、第39回受賞作の山崎豊子『花のれん』(中央公論社、1958年)を挙げる。 私のかつての同僚に大阪の人がいて、その人がこの本を好きだと言っていた。山崎も大阪出身である。 本書は…

短篇小説「夏休み自由研究」

2007年にあるテーマを与えられて書いた習作のような短篇。いま読み返すと、谷崎潤一郎「秘密」とか乱歩の作品に影響を受けているのがわかる。稚拙なのが恥ずかしいが、私の作風の幅を示すものとして掲載。 →短篇小説「夏休み自由研究」

アルバイト遍歴

先日、学生時代に多くのアルバイトをしたという人に会い、話を聞いた。アルバイトでの経験は少なからず、その後の人生の役に立っているという話だった。 電気工をしていた佐伯一麦は電気工を主人公にした私小説をいくつも書いている。 私はふと、自分はこれ…

大切な相棒・ポメラ

取材で出張したり、都内でも外出が2件以上あったりすると、移動中に仕事することが多い。場所は出張であれば新幹線や飛行機の中、都内移動であれば途中にあるカフェなどになる。 ライターだから、仕事はほとんど原稿を書くこと。そこで心強い味方になるのが…

機械遺産「勝鬨橋」

勝鬨橋は2017年に「機械遺産」に認定された。 隅田川に架かる可動橋だが、1970年に開橋を停止したとのこと。輸送手段の主役が船からトラックに替わったことなどにより役目を終えた。 訪ねた日はあいにくの天気で、風が強かった。中央あたりまで渡っていった…

瞑想の九日間で得たもの

大型連休が終わった。 今年は平日に有給休暇を入れて九連休にして、文字通りの大型連休になった。 いつものように、終わってみるとあっという間だった。ニュースなどを見ると、多くの人が旅行や行楽をしたようだが、私は一度だけ、家族三人で日帰りで大きな…

短篇シナリオ「東京旅行」

先日オープンした「創作の部屋」に過去の作品をアップした。 恐らく24歳の頃に書いたシナリオで、10年以上前のものになる。この頃はスマホもなかったので、登場人物はガラケーを使用している。筋は凡庸だし、どこにも個性らしきものがない短篇だが、読み返し…

三遊亭圓朝の「怪談乳房榎」

幕末・明治の落語家、三遊亭圓朝(1839-1900)の「怪談乳房榎」に出てくる榎のモデルは、板橋区内に三つある。ぜんぶ訪ねて写真を撮った。 一つは松月院の門前にある榎。 もう一つが氷川神社の「赤塚乳房大神」。「乳の木様」と呼ばれているらしい。 そして…

「高島平」の地名の由来

板橋区の高島平の地名は、徳川時代後期の砲術家・高島秋帆(たかしま・しゅうはん、1798-1866)にちなんでいる。 高島平はもともと「徳丸原」と呼ばれる幕府の鷹狩場だったが、1841年(天保12年)、西洋砲術の威力に脅威を感じた秋帆の指揮による砲術の演習…

29歳の頃の佐伯一麦

佐伯一麦の年譜を読んでいて、じーんとくるエピソードがあった。 『ショート・サーキット』(講談社文芸文庫、2005年)に収録されている二瓶浩明による年譜だ。アスベスト疾患と長女の病気のため茨城県古河市に引っ越し、配電制御盤配線工として勤務するが基…

豊島与志雄と水野亮

豊島与志雄訳のユゴー『レ・ミゼラブル』は名訳と言われている。私が持っているのは岩波文庫で、これはもともと七分冊だったが1987年に四分冊に改められたものだ。 豊島が初めて『レ・ミゼラブル』を訳したのは大正時代である。その後、昭和初期にピークを迎…