杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

佐伯一麦、佐伯麦男、佐伯亨

ある人物に関する、同じ時期の出来事を書いた複数の記事を並べて見ると、両記事が不足情報を補い合って、その人物のことが立体的になってくることがある。

岩波書店編集部編『私の「貧乏物語」』(2016年)は、日本に長く続いている経済的閉塞感と、河上肇の「貧乏物語」が大阪朝日新聞で連載開始して百年目になることを受けて出された本である。各界の著者計36人が、自らの体験を元にした「貧乏物語」を寄せている。

その中に佐伯一麦がいる。佐伯はそこで、自分は、作家になると志した以上は学歴は必要ないと考えたので高校を出た後に上京したと書き、次いで高校の先輩の伝手で週刊誌記者の仕事を得たと述べている。この週刊誌記者の仕事とは、「蟠竜社」というフリーライターの事務所から得たものであることが、二瓶浩明による佐伯年譜を見るとわかる。

佐伯は1984年に「木を接ぐ」で海燕新人文学賞を取るが、この時に使ったペンネームは「佐伯麦男(ばくだん)」であったと『貧乏物語』に書いている。梶井基次郎の「檸檬」のように、文壇に爆弾を仕掛けてやろうという思いを持っていた。「木を接ぐ」は佐伯のデビュー作とされているが、その前年に「かわさき文学賞コンクール」に「静かな熱」という作品で応募し入選していて、その時に使った名前は本名の「佐伯亨」であると、二瓶の年譜にある。

佐伯は上京後に勤めた「蟠竜社」を四年ほどで辞めたのだが、私はその箇所を読み、変わった社名だなぁと思った。「蟠竜(はんりょう)」とは、地上でとぐろを巻いている、まだ天に昇っていない竜、という意味であるらしい。フリーライターの事務所ということは、そこの経営者はもしかしたら、作家を目指す傍ら記者の仕事で糊口をしのぐ物書きがいる場所、とでもいう意味を社名に込めていたのかも知れない。とすると、佐伯はそこから見事に飛翔したことになる。