杉本純のブログ

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豊島与志雄と水野亮

豊島与志雄訳のユゴーレ・ミゼラブル』は名訳と言われている。私が持っているのは岩波文庫で、これはもともと七分冊だったが1987年に四分冊に改められたものだ。

豊島が初めて『レ・ミゼラブル』を訳したのは大正時代である。その後、昭和初期にピークを迎えた「円本ブーム」の中で新潮社が出した『世界文学全集』に『レ・ミゼラブル』が加わり、豊島は改訳を行った。

豊島が改訳に着手したのは1926年で、旧訳に見つかったいろんな粗漏や誤解を改善した決定版を目指した。しかしこれは豊島曰く、新潮社の校正によって「改悪された」ものになってしまったらしい。当時の新潮社社主が円本発行にあたり文章を大衆向けのものとするよう方針を定めた影響で、『レ・ミゼラブル』にも訳の訂正があったのだろう。

次いで1937年に岩波文庫で豊島訳『レ・ミゼラブル』が出た。ここでも改訳が行われたが、その仕事に力を貸したのが水野亮(1902-1979)である。水野はバルザックの作品などの翻訳を行ったフランス文学者で、豊島が円本全集の改訳に当たっていた時期に旧訳の誤訳や脱落を豊島に伝え、本人に喜ばれていた。

私はバルザック作品への興味から水野にも興味を持っていたが、ウィキペディアに書いてある、豊島訳の『レ・ミゼラブル』に水野が誤訳と脱漏を指摘した、というのがいったい何に書いてあるのかわからなかった。図書館のレファレンスにも聞いたりしてこのたび関口安義の『評伝 豊島与志雄』(未來社、1987年)を読み、上記のことが水野宛の豊島書簡などを元にして書かれているのが分かった。

なお『評伝 豊島与志雄』には、水野は自身で『レ・ミゼラブル』を訳そうとして豊島訳のミスをメモしていたが『レ・ミゼラブル』の翻訳を自らの名では行わなかった、とあるが、水野訳の『レ・ミゼラブル』は1927年に『世界文豪代表作全集』第8、9、10巻の三冊で出ている。