北村薫『中野のお父さん』(文春文庫、2018年)の収録作の一つ「茶の痕跡」を読んでいたら、こんなセリフに遭遇して、ニヤリとした私。
「あ。地図なら、郵便局に置いてあるんじゃないんですか?」
「ありませんでしたなあ。後から知ったのですが、参謀本部の地図というのがあったようです。しかし、勤め始めた頃は、そんなことも知りませんでした」
これを読んで私は、泉鏡花の「高野聖」の冒頭を思い浮かべたのです。冒頭には、こうあります。
「参謀本部編纂の地図をまた繰開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触るさえ暑くるしい、旅の法衣の袖をかかげて、表紙を附けた折本になってるのを引張り出した。…
私自身は学校で帝国書院の地図帳をもらいましたが、昔は参謀本部の地図が一般的だったんだろうかな、と思うと同時に、小説の道具が「高野聖」と重なってくるところが、どこか北村薫先生らしいと思ったのでした。