杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

バルザック『ウジェニー・グランデ』

バルザック『ウジェニー・グランデ』(水野亮訳、岩波文庫、1953年)を読んだ。水野の解説によると、本作は1833年の6月か7月に書き始められたそうで、だとするとバルザック34歳頃のことになる。

長篇だが話は割と単純で、フランスの田舎町ソーミュールに住む樽屋フェリックス・グランデの娘ウジェニー・グランデが、パリから来た従兄のシャルルに恋をし、父親が自殺した後インドに旅立つシャルルに金を与える。それが元で父グランデとの間に軋轢を生じ、母が心痛のあまり病死。父グランデの死後は財産を相続するが、シャルルに裏切られたあげく、地元での慈善活動に邁進していく…というのが大筋。筋は単純ながら、シャルルの父の死とそれに伴う相続、シャルル自身の金儲けと変節、グランデ家に出入りする財産目当ての連中など、人間関係の変化とそこにつきまとう金の動きも事細かに書き込まれている。

そこに重なる緯糸として、父グランデの狂熱的な金銭への執着と、それに勝るとも劣らぬウジェニーの愛の深さが、バルザックならではの力強い筆致で徹底的に描写されており、長篇として読みでは十分である。

バルザック作品を読むたびに、こういう小説が書けたらなぁ、と思うのだが、仮にそれを実現する可能性があるとすれば、「金」をきちんと描くことがその鍵の一つではないかと思われる。水野はこう述べている。

バルザックはシャルルとウジェニーのあどけない戀の囁きに、遠慮なく金の問題を持ち込んでゐる。どんな高尚な事柄にもどんな純情的な事柄にも、金錢問題を絡ませずにはゐられなかつたのがバルザックの癖であつた。本書でもグランデの死と共に金錢問題が終つたわけではない。ウジェニーが受け繼いだ莫大な財産は、本書の「大尾」においてもなほ貧乏貴族に狙はれ、お寺衆や貧乏人の頼みの綱となつてゐる。そして作者は、ウジェニーがありし日の戀の思ひ出に生きる一方、金の番人として一生を終るであらうことを匂はせてゐる。金錢が一切を支配してゐるのである。まつたく金錢問題をヌキにしたら、本書や「ゴリオ爺さん」はもとより「『絶対』の探求」においてさへ、あとに何が殘るだらう。とはいへ、この作者はすぐ金のことを持ち出すが、誰かもいつてゐるように、決してそれが彼の小説の主要な興味を形づくつてゐるわけではない。今までさういふことを輕蔑してゐた上品な小説の世界に、物事の精確さと所帯にからまる形而下の些事を持ち込んだところに作家としての功績があり強味があつたのである。

金ほど人間の世界の隅々に行き渡っているものもないのではないか。そういう金の問題をきちんと描き、なおかつ人間心理の深いところまでも描いていることがバルザック作品の読み応えの理由の一つだと思う。

ところで水野は、バルザックは本作を書き始めた時、『ツールの司祭』ほどの中篇とする予定だったが、やがて長篇になることに気がついた、と述べている。ここが面白かった。書き出してほどなく作品全体の大きさを想像できた、ということ。バルザックの作家としての勘の鋭さを窺わせる。