杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「ツールの司祭」の解説

フランス文学者の水野亮はバルザック作品を多く訳しているのだが、私はそのいくつかを読んで、訳文が良いなと思いながら(良し悪しを判別できる仏語教養はないのだが…)、文庫本などの解説文が面白いとも感じていた。『ツールの司祭・赤い宿屋』(岩波文庫、1945年)の「ツールの司祭」の解説の冒頭も面白い。

 本篇の題名はツール郊外サン・サンフォリアン寺院の司祭ビロトー師を指すのであるが、この小説に現はれる人物のうち最も印象的なのは、あはれな犧牲者のビロトー師でもなく、憎しみに燃えてビロトー師を追ひ出すガマール嬢でもない。その怪物然たる性格の力强さによつて我々に異常な感銘を强ひるのは、事實上の中心人物として中途から舞臺に現はれるトルーベール師である。由來バルザックの小説には、普通人と違ふ强烈な性格の持主が續々と登場する。それらの人物の持つ激しい情熱がどんな不可避的な行動となつて現はれ、どんな影響をその周圍に及ぼすかを、時に主人公と激情の奔逸を共にしながら描き、時に科學者の冷静に返つて觀察究明するのがバルザックの小説の特徴である。「絶對の探求」のバルタザール・クラース、「從妹ベット」のユロ男爵、「農民」のゴーベルタンなどその好例である。「ツールの司祭」は邦文原稿紙にしてわづか二百枚足らずの短篇にすぎないが、篇中のトルーベール師はその性格の浮彫りが見事に成功してゐるために、右に擧げた長篇の諸人物に較べても決してヒケを取らない、躍動的で偉大な典型といふ感じを與へる。

バルザックの小説の大きな特徴を端的に伝えてくれている。