杉本純のブログ

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バルザック「沙漠の情熱」

バルザックの「沙漠の情熱」(『知られざる傑作』(水野亮訳、岩波文庫、1928年)所収)を久しぶりに読んだ。この作品は訳注によると、初出は1830年12月発行の「パリ評論」で、1937年の「哲学的研究」第16巻において初めて書籍収録された。その後、1846年に出た「人間喜劇」の「軍隊生活場景」に収録された。本書の作品末尾には「パリ 一八三二年」とあるが、その日付は誤りであるらしい。なお霧生和夫『バルザック』(中公新書、1978年)には「人間喜劇」91篇の作品名が年代順に掲載されているが、「沙漠の情熱」というタイトルは見当たらない。

バルザックの短篇について、本書の訳者の水野亮は「二十何篇かの彼の短篇が、みながみな傑作とはいえないにしても、なかには相当よみごたえのある作がないわけではない」と述べつつ、「沙漠の情熱」をはじめ本書に収められた短篇については、「かならずしも定評ある傑作ばかりをあつめたのではない」と述べている。

さて「沙漠の情熱」は、猛獣使いの藝を見物した者同士が、人間が猛獣をどう操るかについて話し合う中で語られる、ある軍人の体験談として展開される。軍人の体験談とは、メスの豹と一定期間、共に過ごした後にその豹を殺した、というものだが、末尾に書かれていることがいちおうこの短篇の「落ち」になるのだろう。率直に言って、べつに傑作とは思わないのだが、砂漠とそこに棲む豹の描写が精巧ですばらしく、それだけでも読み応えがあると思う。

この中で名前が出てくる人物は「マルタン」くらいで、これが「人間喜劇」の再登場人物に入っているかどうかは分からない。「沙漠の情熱」が「人間喜劇」の主たる作品に入っていないのは間違いないが、このようなたわいない作品もあることが、その世界の豊かさでもあるように思う。