板橋区の高島平の地名は、徳川時代後期の砲術家・高島秋帆(たかしま・しゅうはん、1798-1866)にちなんでいる。
高島平はもともと「徳丸原」と呼ばれる幕府の鷹狩場だったが、1841年(天保12年)、西洋砲術の威力に脅威を感じた秋帆の指揮による砲術の演習が行われた。このことにちなみ、のちにこの地は「高島平」と呼ばれるようになった。
秋帆のことを伝える碑は私が知る限り区内に二つある。一つは松月院という曹洞宗の寺の境内で、演習の際にここに本陣が置かれたことにちなんでいる。もう一つは、元々は高島平6丁目2番地にあったが、徳丸ヶ原公園という公園に移され、目立たずひっそりと建っている。こちらの碑の扁額は篆書で記されているが、徳富蘇峰の筆であるらしい。
秋帆と砲術演習のエピソードは、佐伯泰英の時代小説『秋帆狩り』(光文社文庫、2006年)にも出てくる。