杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

板橋区徳丸と『みのりの道』

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板橋区の徳丸という町の中に、徳丸ヶ丘公園という公園がある。そこには「みのりの道」という大きなモニュメントが設置されている。

収穫した稲を積んだ大八車を父親が引き、それを後ろから母親と二人の子供が支えて押しているモニュメントで、とても迫力がある。

徳丸という土地は、畑と水田が広がっていた地域であり、土地区画整理事業によって住宅地に生まれ変わったのだが、この「みのりの道」は、この地域の人々の往時の姿を伝えるもの。モニュメント下部に設置されている碑文には、区画整理事業の経緯がごく簡単に記述されており、「みのりの道」について末尾に次のように記されている。

 時代と共に忘れ去られて行く過去の暮しの中で、私達の祖先がきびしい地形のこの地で強くたくましく生きた“あかし”として後世に伝え、この土地区画整理事業が、組合員、役職員等多くの人々の「和」で完成したことを大きな「みのり」とし、事業半ばで逝かれた方々のご冥福とこの地のつきることのない繁栄を祈り竣工記念碑として建立しました。
  平成三年三月 吉日
    徳丸ヶ丘土地区画整理組合

私はこれまでいろんな公園のいろんなモニュメントを見てきたが、この「みのりの道」は、存在感といいメッセージ性といい出色だと思う。

さて、徳丸ヶ丘土地区画整理組合は平成3年(1991年)12月に事業解散記念の冊子を刊行している。その名も『みのりの道』。函入りの大型本で、組合理事長はじめ様々な組合幹部や地元民の言葉、関係者座談会、事業の中身についての詳細な資料も付いていて、この一冊を読めば区画整理事業についてだいたい分かるだろうと思われる、たいへん豪華な本だ。

この本の末尾の方には事業の年表が掲載されている。これを参照すると、組合が認可されたのは昭和40年(1965年)11月30日で、徳丸ヶ丘公園で事業竣工記念碑除幕式が執り行われたのは平成3年(1991年)4月である。それまでに、住宅地や道路や環境整備工事が順次完成している。

始まりから終わりまで、約26年もかかったことになるが、冒頭の組合理事長のメッセージを読むと、地元の方々が区画整理実施を目指して立ち上がったのが昭和34年(1959年)頃、とあるので、準備も含めて30年以上をかけて取り組んできた一大事業だったのだ。

徳丸には「徳丸槙の道」という道があり、槇の街路樹が植えられている。槇は、平成元年(1989年)にオープンした、板橋の藝能を伝承する拠点である郷土芸能伝承館の敷地内にも記念樹として植えられている。槇はそうとう高価な木であるらしく、とすると当然、「槙の道」の整備もかなりの費用がかかったのだろう。

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郷土芸能伝承館の入り口の槇

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徳丸槙の道

私にはこの「槙の道」が面白い。というのは、槇は街路樹の樹種としては見たことがないからで、この道は、前から不思議な存在だったのだ。『みのりの道』を読むと、やはり槇の街路樹は全国的にも珍しいものであることが分かる。また『みのりの道』の座談会で、本来庭木と考えられていた槇を街路樹にしたことは、板橋区のテーマ「緑と文化の街」にぴったりだと思う、と述べている人がいる。

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街路樹としては珍しい槇が、独特の景観をつくり出している

区画整理事業は日本中で実施されており、『みのりの道』のような記念冊子はその歩みを伝えている。こういう本を読むと、街を歩くのが楽しくなる。