杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

こじらせワナビの回顧

私は十代の頃から広い意味での「物書きワナビ」で、長いこと成就していないという意味で、完全に「こじらせ」てしまっている。そう自覚しているんだからまだ改善できる、突破口はあると思っているのだが、そういう心理状態そのものがまたひどい「こじらせ」ようであるような気もする。

さて、私は自分の作品や文章について幾人かにこっぴどく叩かれたことがある。最近、過去に書いた作品を「創作の部屋」にアップし始め、それを書いた時期のことを思い出すことが多くなったのだが、改めて強く感じたのは、その幾人かが全員、「物書き」ではなかったことだ。一部、文筆もする人がいたにはいたが、その人は私の小説についてもいろいろ叩いたものの、自身で本格的に小説を発表したことはない。

私の書いたものの内容が面白くない、というなら読者の感想だから仕方ないけれども、小説はこう書け、だの、作家たるものこうでなくちゃならん、だの作品の外の部分で命令されることが多かった。私の小説に勝手に手を入れてきた人もいた。その幾人かはいずれも私より立場が上の人であり、当時の私はあまりわけがわからないまま反省していたと記憶している。

いま思うと、ヒジョーに腹立たしい。実作をしたことがないにも関わらず目下の人間の作をああだこうだと好き勝手に批判し、おまけにああせいこうせいと命令するのだから、まったくひどい奴らだったと思う。

そういう人らはたいてい、かつては自身がワナビであり、また過去に立場が上の人からそういう命令をされた経験があり、かといっていっぱしの物書きになれないまま来てしまった、その悔恨の念から私に色々と言ってきたのだと思う。虐待された経験を持つ親が子を虐待してしまうのと同じような理屈で、立場が下の人を叩かないと気が済まなかったのだろう。馬鹿で情けない奴だ。

私は、その人らとはすでに関係がない。袂を分かって本当に良かったと思っている。ただし、悪いのがあいつらでなく私だったのは間違いない。その人らを師匠のように仰ぎ見てしまったのは、他でもない私自身だったのだ。目上の人からの言葉を無批判に受け入れていた、甘えん坊だった自分を恥ずかしく思う。