杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

こじらせワナビの心情と行動

もはや趣味というより…

モリナガアメ『かんもくって何なの!?――しゃべれない日々を抜け出た私』(合同出版、2017年)を読みました。

国内であまり知られていない「場面緘黙症」を患う著者が、生きづらい人生をもがきながら生きてきた記録です。記録ではあるものの漫画であり、けっこう強調されていたりコミカルにされていたりする箇所はありますが、親や他人から受けてきた虐待も描写されていて、読むのに気力が必要な、壮絶な内容だと思います。

私は著者による本書の次の著書『話せない私研究――大人になってわかった場面緘黙との付き合い方』(合同出版、2020年)を先に読みました。これほどまでに生きづらい中で、漫画を描くことにしがみつくように生きてきた著者の生き様に心打たれ、本書も手に取った次第です。また私は「私小説」をよく読むのですが、著者の生き様は私小説家のそれのようであるとも感じられ、異様な感銘を受けています。

本書では、著者の場面緘黙と、著者が受けてきた虐待が分かちがたく結びついていると思われるところがあり、場面寡黙そのものについては分かりづらい感じがしました。とはいえ、漫画にしがみついて生きる著者の精神と行動は、やはり心を打つものがありました。

いわゆる「普通の」学校生活や友人関係ができなかった著者は、それでも人生を前向きに生きる気持ちを失いません。しかし、社会に出ても勤め先でうまくいかず挫折。漫画の執筆にしがみつくようになるのはこの頃からです。

「今の私にはこれしかないんだから全力でやらなきゃ
これでも自分に変化がなければその時私は死ぬしかないんだ…」
それはもはや趣味というより病んでいるがゆえの鬼気迫った暴走だった気もする

趣味だった漫画が、趣味ではなくなった。

著者は漫画をネット発信することに賭け、作品を発表し続けます。漫画家になりたい、と明確に思っていたかどうかは分かりませんが、上記の引用箇所を読み、私は著者は漫画家の「こじらせワナビ」だったと思いました。漫画でも小説でも俳優でも、ワナビはこじらせてしまうと、取り組む対象が趣味ではなくなります。最初は趣味だったかもしれませんが、それで一廉の人物になれるかどうかがアイデンティティ確立の成否を分けるまでになるからです。著者の「趣味というより病んでいるがゆえの鬼気迫った暴走」とは、まさに、こじらせワナビの心情と行動そのものではないでしょうか。