杉本純のブログ

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自我の重さ

コミュ障とワナビ

吉田尚記『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版、2015年)を読んでいます。同じ著者の『没頭力』(太田出版、2018年)が面白くてためになったので手に取りました。

本書はコミュニケーション障害、いわゆる「コミュ障」である著者が、コミュニケーションを楽しむための考え方や技術を紹介している内容です。コミュニケーションの目的はコミュニケーションそのもの、という前提に立ち、いかに「気まずい時間」という敵を倒すかをゲームを攻略するように考えるのが面白いです。

その「はじめに」では、コミュニケーションの目的は自己顕示欲の充足ではない、と述べているところがあります。

 ぼくもかつては、コミュニケーションをとることに関して強い自己顕示欲を持っていました。たぶんみんなもそうだと思う。でも考えていけばいくほど、それはごく初期の動機にはなったけど、いまハッキリと必要じゃないとわかった。どうでもよくなっちゃったんですね。
 べつにそれを捨てようと意識したわけではありません。自己顕示欲は持って生まれたものなので、捨てようとして捨てられるものではない。ただ必死で人と楽しくコミュニケーションをとりたい、その一心でやっていたらいつのまにかなくなっていたんです。相手にとって「本当に自分のことを考えてくれている人」になろうとコミュニケーションをとっていたら、自我みたいなものがどんどん軽くなっていったんですね。

私は上記の最後の、自我が軽くなった、というところが面白い書き方だなあと思いました。自我に軽重がある、というのは、何となく分かるような気がしたのです。

上記の「自己顕示欲」は「自意識」と言い換えても良さそうな気がします。自己顕示欲が強いことは、自意識が過剰であることに近いのではないか。もっと言えば、承認欲求が強い、ということであり、それゆえに自分を良く見せたいという気持ちが優先してしまい、その結果、相手のことを考えず話したり、あるいは逆に何も話せなくなったりしてしまう。

「重たい自我」とは、「コミュニケーションに支障を来すほどの自己顕示欲・自意識」のことでしょう。自己顕示欲や承認欲求が満たされない状態が続くと、自我がだんだんと重たくなってくる、ということかと。

だとするとやはり、ワナビは重い自我を抱えなくてはならず、生きづらい人生を送らなくてはならないことになると思います。