杉本純のブログ

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写真家ワナビ小自伝

写真家志望者がボロボロになるまで

私はフクロウが好きで、今回ある偶然から滝沢信和『フクロウを撮る――農業青年の観察苦闘記』(岩波フォト絵本、2002年)を手に取り、読みました。

本書はタイトルの通り、「農業青年」である著者の滝沢が長野の自宅近くの森でフクロウを観察し、洞にカメラを据えてその営みを撮影した写真を本にまとめたもの。私は手に取った最初は単なるフクロウ写真集だと思っていたのですが、読んでみるとそれだけではなく、サブタイトルにもあるように、農業に従事しながらフクロウを観察し撮影する青年の苦闘記になっています。

しかもこれがまた、「写真家ワナビ」とでも呼ぶべき藝術青年の生活と心情を綴っています。

滝沢は1958年、長野県の農家に生まれました。高校の3年間は新聞奨学生をして、卒業後は大学に行きたかったもののそれはかなわず、工場に勤めます。そして給料でカメラを買い、アルバイトをしながら金を貯めて写真を撮り続けました。前からあまり家に帰っていなかったセールスマンの父親は、滝沢が若い頃に亡くなります。

最初はニホンリスを撮影して雑誌に数回掲載され、次いでアナグマ、そしてフクロウへと撮影対象を変えます。母親と農業をしながらの撮影生活は厳しいですが、それでも小屋のような観察・撮影用の「ブラインド」を自作したり、借金をして超広角レンズを買ったりして、写真を撮り続けました。

フクロウの写真にはすでに、同じく長野の伊那谷で活躍する宮崎学という動物写真家がいたそうですが、滝沢はフクロウを追います。あまつさえ、ブラインドの中で湯たんぽで寒さをしのぎ、ペンライトを照明として使う貧乏くさいスタイルを「自己流」として貫きます。

観察を始めて10年目にはケヤキの洞がボロボロになり、そして滝沢自身も連日の夜を徹しての観察のダメージが蓄積し、身体を壊してしまいます。自分もまた、ボロボロになっていたのです。

「こじらせていた」のではないか

本書は50ページにも満たない薄い本で、しかもフクロウの写真を中心に構成されたものですが、その脇に上記のような滝沢本人による苦闘の記録が載っています。

巻末には環境生態論の今泉吉晴による解説が載っていて、この解説文が、本書から滲み出ている滝沢という写真家ワナビの心情について率直に書いています。

滝沢は、すばらしい写真技術を持ってはいたものの、一流動物写真家として世に出ることはできませんでした。その背景には、日本のカメラ工業の技術的な進展をベースに、一般人を魅了する動物写真を撮影する動物写真家が多く現れてきた時代の流れがありました。滝沢が一生懸命に撮影したフクロウ写真は、結局は先達に追随するものでしかなかったこと、また滝沢が変に自己流にこだわったことも、滝沢がデビューできなかった要因ではないかと今泉は述べています。

滝沢はまさに動物写真家ワナビだったろうと私は思います。ボロボロになるまでやり続けたところなど、自己流にこだわったことと相俟って、滝沢はかなり「こじらせていた」のではないかと思わせるところもあります。

ワナビなら、本書に綴られた滝沢の生活と心情に、深く感じるものがあるのではないかと思います。