杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

バルザックとゴッホ

ある作家の研究をする過程で、エミル・ベルナール編、硲伊之助訳『ゴッホの手紙(上)』(岩波文庫、1978年改版)を読んでいる。

これはベルナール宛の書簡を編んだものだが、その第十四信(1888年8月初旬)には、ドガが精力的かつ没個性であることに関して、性欲と制作の関係について語っているところがあり、バルザックの名も出てきて面白い。

 ドガの絵が精力的で没個性なのは、彼が結婚をいやがって非人間的な公証人になることを受入れたからだ。自分よりも強い野獣的な人間の性行動を観察して、それをうまく描くのは、それは、たしかに彼が動物的欲望をもたないからだ。
 ルーベンス、ああ、たしかに立派な男前であのほうも強かった、クウルベもおんなじだ。彼等の健康が、痛飲と大食と性慾を許した。
 わがかわいそうなベルナール君、この春注意したとおりよく食べて、軍事訓練をやって、過度の性行為を慎まないと君の絵もだめになるよ。
 偉大で力強い芸術家のバルザックは、近代芸術家たちにとって、性行為の節度と制作力とは関連すると述べている。

この「バルザック」はもちろんオノレ・ド・バルザックのことだと思うが、バルザックがどこでそんなことを述べたのか、調べてみたい気持ちがある。『結婚の生理学』あたりだろうか。

なおこの書簡は1888年だから、バルザックはとうに死んでいる。そもそも、ゴッホが生まれたのが1853年なのでバルザックの死後である。オランダ出身のゴッホバルザックをどれくらい読んでいたのか分からないが、パリにもいたことだし、やはり読んでいたのだろう。