杉本純のブログ

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佐伯一麦とゴッホ

佐伯一麦の名は、麦畑の絵を多く描いたゴッホにちなんで付けられた。このことを佐伯はこれまでに何度も随筆などで述べているが、佐伯がゴッホの絵に初めて接し、衝撃を受けたのは1976年、高校二年の頃である。そのことは、二瓶浩明による佐伯年譜に記されているし、このたび読んだ「二十代の自画像」(岩波書店「図書」2014年3月号所収)にも記されていた。なおこの「二十代の自画像」は今は佐伯『麦主義者の小説論』(岩波書店、2015年)で読むことができる。

「二十代の自画像」は、自分は私小説を長く書いてきたが、小説を「文章によって自画像を描く試み」だと考え実践してきたことから書き起こされている。そして、自画像を多く描いたゴッホに言及している。

佐伯は高校二年のゴッホ展に前後して小林秀雄の『ゴッホの手紙』(角川書店、1957年)を読み、ゴッホによる弟テオに宛てた手紙の存在を知った。そして、新聞配達のバイトの給料をつぎ込み、みすず書房の『ファン・ゴッホ書簡全集』全六巻を買った、とある。

この『ファン・ゴッホ書簡全集』全巻購入はいつなのか、正確には分からない。佐伯が新聞配達をしていたのは高校時代のはずだが、二瓶編の佐伯年譜には新聞配達のことは書かれておらず、高校を辞めて上京した1978年にゴッホの書簡全集を買ったことが書かれている。

いずれにしろ、高校二年にゴッホ展と小林『ゴッホの手紙』に触れ、その後書簡全集を購入したのは間違いない。こうしてゴッホにのめり込み、麦男とか一麦といった「麦」を使った名前を使うようになり、やがて佐伯一麦の名でデビューすることになるので、佐伯の人生は高校二年の時期から転換していったと言える。