杉本純のブログ

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佐伯一麦の「自画像」

昨日書いた佐伯一麦の「二十代の自画像」は4ページの随筆だが、前半はゴッホに触れ、後半では寺田寅彦松本竣介について書いている。それは、作者の眼が、自画像を鏡像から正像に昇華するまで洗練する過程についての、佐伯独自の考察になっている。

画家が自画像を描く時、鏡を見たまま描けば左右反転してしまうが、松本俊介の自画像には鏡像と正像とがあり、その差に「自分という人間をも風景として捉える透徹した視線が窺える」と佐伯は書いている。

佐伯は長篇『渡良瀬』を文藝誌「海燕」で三十代に連載したものの、「海燕」終刊によって途中で執筆が止まった。それを五十代になって改稿し、完成させて岩波書店から刊行したが、「二十年かけることによって、ようやく二十代の自画像を風景とともに正像として描くことが出来たように感じている」と書いている。

自分を相対化できた、ということかと思う。ただ私は『渡良瀬』よりも、のたうち回るような生活をのたうち回るように描いた佐伯の二十代、三十代の小説の方が好きである。