杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「最後の文士」

『榊原和夫の現代作家写真館』(公募ガイド社、1995年)は現代作家の肖像や書斎を撮った本で、榊原による作家への「取材NOTE」の他、一部の作家から小説家志望者向けに書かれた短文が載っている面白い本だ。

その中に八木義德の記事があるのだが、八木を紹介する中で「『私』を見つめることで、人間とか人生というものの真実を描く、今日では稀有の文学者、最後の“文士”なのである」とある。

この「最後の〇〇」という言葉はとても便利である。相手を持ち上げようとする際に使われるのだが、まぁとにかくやたらと色んなところで使われている。「最後の文士」だけでも、これまでそれが使われている作家を何人見たことか。。

八木は1999年に死んだが、それから二十年後になる今年、島田雅彦『君が異端だった頃』(集英社、2019年)の帯に「最後の文士・島田雅彦による自伝的青春私小説!」と使われた。

これは言うまでもなく、使う側が主観的に使っているだけのことで、「最後の」に科学的な根拠はない。ちなみに「最後の無頼派」は、色川武大にも野坂昭如にも使われていた。他にもいるかも知れない。