杉本純のブログ

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佐伯一麦と色川武大

古河の工場で読まれた『狂人日記

田畑書店編集部編『色川武大という生き方』(田畑書店、2021年)は、『色川武大 阿佐田哲也全集』全16巻(福武書店、1991~1993年)の月報と解題の一部をまとめた一冊です。その中に、佐伯一麦による「『狂人日記』と私」も掲載されています。私は色川全集に目を通したことがないので、不明を恥じるとともにまずは現物にあたって初出の文章を読んでみたいです。

本書の存在は最近知りました。田畑書店というと、佐伯の近著『Nさんの机で』(2022年)があります。

「『狂人日記』と私」は、佐伯が電機工場で働いていた頃、昼休みに文藝誌を読む習慣があって、読んだ中でひときわ印象に残っているのが『狂人日記』だった、という話から始まっています。

講談社文芸文庫狂人日記』(2004年)の色川年譜を見ると、『狂人日記』が「海燕」で連載開始したのは1987年で(1月号から)、1988年6月号で連載終了したのがわかります。佐伯が『狂人日記』を読んだという電機工場とは、間違いなく茨城県古河市の配電盤工場のことですが、同じく文芸文庫『ショート・サーキット』(2005年)の佐伯年譜には、佐伯が古河に転居したのは1988年の「夏」と記してあります。連載終了した「海燕」6月号は恐らく5月に発行されたでしょうから、それではおかしいことになる。佐伯の年譜は二瓶浩明が作成したもので、たしか佐伯も内容を確認したはずです。となると、おかしいのは色川年譜の記述である可能性が高いと考えます。この辺り、改めて事実関係を確認したいところです。

佐伯は「週刊大衆」に書いていた

さて「『狂人日記』と私」は、上記のエピソードにからめた色川武大の思い出を記したもので、色川への敬慕の念が感じられる、味わいある文章です。ちなみに佐伯は文芸文庫『狂人日記』に解説「遠景の人」を寄稿していますが、「『狂人日記』と私」の記述と重なっているところがけっこうあります。

「『狂人日記』と私」で佐伯は、電機工場の先輩の「本部さん」の生い立ちが色川のそれと重なった思い出を書いています。「遠景の人」にもこのエピソードは出ていて、そこでは「Hさん」と書いてあるので、「本部」は「ほんぶ」と読むのでしょう。

また、佐伯自身の配電盤工場での経験は、私小説『渡良瀬』に色濃く反映されています。『渡良瀬』には「本所」という先輩の工員が出てきて、これが「本部さん」を思わせます。

佐伯は二度、色川に会っていますが、最初に会ったのは神楽坂です。会ったというより、見かけただけだったようです。当時フリーライターをしていた佐伯は、お世話になっている出版社の編集者に昼ご飯をおごってもらった帰路に色川を見かけ、編集者は色川に黙礼をしたとのこと。その出版社は色川の作品で儲かっていたそうで、「遠景の人」を読むと、その作品が『麻雀放浪記』であることがわかります。これは「週刊大衆」に連載されたので、編集者は双葉社の人だったということになります。佐伯がフリーライターとして働いていたのは「蟠竜社」ですが、そこに所属しつつ「週刊大衆」の記事を書いていたことになります。

本書の末尾には、執筆者の一人である「荻野いずみ」について、本人や、本人の連作先に心当たりがある人は弊社(田畑書店)まで連絡ください、と書いてあります。誰なのかもわからないようですが、こういう案内を見たのは初めてです。