杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

ゲーム遍歴1

ゲームを楽しむのは約二十年ぶり

最近はサンドボックス型ゲームの「マインクラフト」をよくやっています。目的を定め、それを達成するためにマインしたり、クラフトしたりする過程が楽しく、やり遂げるとそれなりの充実感があります。自分の拠点を構え、増改築をして強化、充実させていくのも面白い。石を砕いたり、積み上げたりするのがボタン一つでできるのは、まあゲームらしい安直さです。けれども、人間が狩猟採集をして家や街をつくる、もっと言うと文明を築く過程というのは、こういう行為の繰り返しだったんだろう、という思いもしなくはない。褒め過ぎですが、それくらい面白いゲームということです。

さて、振り返ると、これだけゲームにハマるのは久しぶりです。テレビゲームは大学時代に、ある考えがあって卒業したので、実に約二十年ぶりに私はゲームを楽しんでいます。その過程を自分の心情の変遷とともに振り返ると、けっこう面白いものがあります。ということで、私のゲーム遍歴を振り返り、不定期連載してみたいと思います。

家にはファミコンが無かった

私が少年の頃に心奪われたゲームはファミコンです。ソフトは「スーパーマリオブラザーズ」、「影の伝説」、「スパルタンX」、「熱血高校ドッジボール部」、「くにおくんの大運動会」、「くにおくんの時代劇だよ全員集合」、「グラディウス」、「双截龍(ダブルドラゴン)」、「ロックマン」シリーズなど、もう思い出せないくらい、いろんなものをよくやりました。

ただし、私の家は親が厳しく、ファミコンは買ってもらえませんでした。その厳しさは年を経るごとに緩和していきますが、少年時はファミコンはどれだけ懇願しても駄目で、あまつさえ藝人が出るテレビ番組すら見せてもらえないという、実に生真面目な家族だったのです。

今にして思うと、家族のこの生真面目さは私の人生に多大な影響を及ぼしています。それによって私が人生を得したか、損したかは、もちろん断言できません。損の方が多いような気もしますが、深く考えると、それによって多くの危機を回避したと思われる点もあり、得したことも少なくなかったことが分かります。

確実に言えるのは、自分がどのような環境に生きようが、それを言い訳にして人生を損したなどと嘆くのは愚かだということです。人生は自力で切り開くものであり、悪しき環境だと思うのなら、自分に適した環境に自力で変えれば良いのです。ただしそれは現代日本のごく一般的な家庭にある人に当てはまることで、環境を自力では変えようがない、社会構造上の深刻な問題を抱えている人がいるのは紛れもない事実です。

ファミコンをやるために友人の家へ

話が逸れましたが、ファミコンを持っていなかった私にどうしてそんなにソフトの思い出があるのか。簡単です。友達の家に行ってファミコンをやらせてもらったからです。

上に列記したソフトは、すべて友達の家でやりました。当時の私はファミコンがやりたくてやりたくて堪らなかったので、友達と遊ぶ時は、とにかくその人の家に行きたがったものです。今だから言えますが、家に招き、ファミコンをやらせてくれる友達は私にとって「いい人」でした。その人との友情には常にファミコンが介在しており、ファミコンが無ければ友達ではありませんでした。現に、クラスが離れて一緒にファミコンをすることが無くなれば、私はあっという間にその人から離れ、次のファミコンをやらせてくれる友人の家に通い詰めるようになったのです。

中には私のそういう下心を見抜く友達もいました。その人から「お前うちでファミコンやりたいだけだろ」などと指摘されたこともあったと記憶しています。図星であることの辛さと、ファミコンを持っていない劣等感とが綯い交ぜになった悔しさを味わったのを、今もうっすらと覚えています。

大人になった今は物事をだいぶ相対化できているので、そういう悔しさを覚えることはあまりありません。ただし、思い返して感じるのは、私の少年時はいろんな意味でファミコンにけっこう翻弄されたということです。私からすると、ファミコンを持っている人は、仰ぎ見るような存在でした。そういう感覚で過ごしていたので、周囲の人との友情の育み方は健全ではなかったように思います。ファミコンを介在させない友達もいたので、その限りではないのですが。

さて、親の厳しさは前述のとおり、次第に緩和されていき、私のゲームライフは新しい局面に入ります。それは次回に書きます。

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