杉本純のブログ

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阿Qと精神勝利法

『阿Q正伝』は、魯迅の代表作。私は竹内好訳の岩波文庫(1955年)で読んだが、あまり内容を覚えておらず、話としては面白くなかったんだろうと思う。魯迅はこの作を通して、中国人のどうしようもない愚かさを批判的に描きたかったらしいので、思想的な意味合いの方が強い作品なのだろう。

阿Qには「精神勝利法」という独特の思考法があり、客観的には明らかな敗北であるのを、内部の思考によって巧みに勝利にすり替えることができる。ちょっとわかりにくいが、本来なら敗北すれば自尊心が傷つき、それを取り戻すには多大な努力が必要となるが、精神勝利法を使うことで敗北が勝利にすり替わり、自尊心が傷つかずに保たれる、ということだろう。つまり、自信を取り戻すための努力をせずに済むということ。

どういう思考法かというと、自分が敗北したのに、その原因が自分以外のところにあると考えることで、自分は実力では劣っていないんだ、と考えることだ。

例えばデザインコンペで負けたのは審査員のセンスが悪いからだと考える。あるいは同期入社の社員が自分より早く出世したのを、経営者がバカだからとか、自分の部下がバカで役立たずだったからなどと言う。そういう風に考えることで、本来なら自分は負けていないんだということになり、自尊心が保たれる。

しかしちょっと考えればわかるように、本当に自尊心を守りたいなら努力をしなくてはならない。あるいは、素直に負けを認めることだ。精神勝利法は姑息であり、それを使う阿Qは卑怯である。

だが私は子供の頃を振り返ると、自分はまさに阿Qだったと思う。傷つくのが嫌で、ずっと優越感を味わっていたくて、競技で負けたり成績を落としたりしても、なにかと自分の中で言い訳をして「本来なら自分が上」ということにし、自尊心を守っていた。ひょっとしたら、今でもその癖が抜けきっていないところがあるかも知れない。

世の中にはフェアではないことがたくさんある。つまり敗北が「明らかな敗北」とは思えないことが少なくない。だから人が精神勝利法を使ってしまうことには、実はちょっと共感するところもある。だが、それでいいとは言えない。自分を仮借なく批判的に見つめ、自尊心を保ちたいなら相応の努力をすることが重要だと思う。