杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

物書きは書く以外ない。

スーザン・ショフネシーの『小説家・ライターになれる人、なれない人』(同文書院、1998年)をようやく読み終えた。空いた時間にぱらぱらページをめくっていただけだったが、後半は一気に読んだ。

この本は一言でいえば、物を書く仕事をする人が「今日書く」ための心構えや処方箋を多角的に述べている本。古今東西の作家や藝術家の言葉が引用され、それに関するショフネシーの見解が添えられている。得るものが多かった、というより、うすうすわかっていたことをズバリ指摘された感じがしている。私はプロの作家ではないが、プロ作家の中にも本書の指摘が役立つと言っている人がいる。

章立て(Chapter)は「「書きたい」人が「書き出す」まで」と「書くことの苦痛について」と「書き手(ライター)の幸福」の3つ。

中でも最もページ数が多い「「書きたい」人が「書き出す」まで」は、書きたいと思っていながら書き出さない人が抱えているであろう問題が実に多く並べられていて、私には一つ一つグサグサと突き刺さってきた。「書きたい」と思って悶々としているなら、結局は「書く」以外にその煩悶から逃れる方法はないのだということがよくわかる。

最後はコールリッジの言葉を引用した後にショフネシーによる締めくくりのような言葉がある。

 今日書くということは、明日を創ることです。
 今日書くということは、明日があなたの人生に入り込んでくるということです。
 今日書く以外にないのです――あなたがいったんライターになると言ったのならば。 

もう、観念して書こう。それ以外に物書きとして生きる方法はない。