杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

文章と内容、叙述と描写、取材と体感

ライターとして仕事をする中で長年にわたり苦しめられてきたことを、ようやく本格的に乗り越えられそうな気がしている。まだ完全に理解したとは言えないので、以下に記すことはちょっと伝わりにくいかもしれない。

上のリンク先の記事にも書いたが、「アツい文章」「エモい文章」「感動的な文章」「カッコイイ文章」といった原稿を要求されることがたまにあり、私はそのたびに「そんな文章はない!」と心の中で反発していた。しかしそういうお願いをしてくる発注者本人は、どうやらそういう文章があると信じて疑っていないようなのである。

この認識の食い違いは、文章と内容、という二元論でまずは解けそうな気がする。「アツい」「エモい」「カッコイイ」「感動的」なのはやはり内容であって、文章ではない。だから「アツく書いてくれ」という要求を受けた場合、「アツくしよう」という思いで文章を彫琢するのではなく、記述する対象物を「アツいもの」だと捉えることから始まるのではないだろうか。

どうやら発注者は、単にものごとの経緯と淡々と述べてもらいたいのではないようだ。何かもっと、真に迫ってくるもの、それこそ「アツい」ものを書いてもらいたいと願っている。そういう願いを書き手はどう受け止めればよいのか。そこで使うべきは、叙述と描写、という二元論だと思う。真に迫るとは、目に見えるような、耳に聞こえるような、といったニュアンスを含むと思われる。だから経緯を叙述するだけでは足りない。必要なのは描写である。景色、温度、味、取材相手の声色、仕草……。経緯を叙述し、なおかつ様子を描写すれば良いと思う。

原稿を書くにあたり描写を実践するには、情報を得るだけでは足りない。ここでいう情報は頭に入ってくるものであり、耳や目や口や鼻で捉えるものではない。では書き手は何を取材すればいいのか。そこで使うのが、取材と体感、という二元論。頭に情報を入れるのではなく、その場で五感に響いてくるものを感じること。そうすることで、匂いや音や光景を記憶することができるだろう。

体感することで描写できるようになり、描写することで内容が真に迫る、つまり「アツい」とか「エモい」とか感じられるようになる。ざっとそんなところではないだろうか。