杉本純のブログ

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叙述とあらすじ

小説を読んでいて、どうも内容が私の中に入ってこないというか、すらすらと読めはするのだが、どこかつるつるの床の上を滑っているだけのような空疎な感じを受けることがある。

自分はまさにストーリーが進んでいる箇所を読んでいるはずなのに、どうも物語の世界に入っていけないのである。話のタイプが自分の肌に合わない、というのではない。なんだか、スーッと氷の上でも滑っているような感じで、小説の世界の感触がないのである。

そういう小説には共通点があって、概して描写が薄く、叙述の部分が、ただあらすじを追っているだけのような感じなのだ。

叙述は小説のストーリーを進行させる役割を持つが、その小説の空しい部分は、ただ小説についての説明を受けているだけのように感じさせるのである。ちょうどあらすじを簡単に聞かせてもらっているような様子で、ふんふん、なるほど、そういうわけなのね…と理解の相槌を打つことはできるのだが、ただそれだけで、次を読みたくなってくるでもない。また、例えば話が進んで主人公が惨めな状態に陥ったとしても、それも単なる説明にしか読めないので何ら感動がないのだ。

叙述とあらすじは違う。どこがどう違うのかを説明することは難しいが、明らかな違いがあるように思う。

両者の違いを見分けるキーワードとして考えられのは「説明」か。あらすじを追っているだけの小説というのは、どうも主人公のことを説明しているだけのようで、「涙を流した」などと書かれていても、こちらにはぜんぜん主人公の悲しさが感じられないのだ。主人公がここで悲しくなったんですよ、と説明されているように思うからだ。

…まぁしかし、それも究極は作者との相性の問題かも知れない。