杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

虐待から愛惜へ

立花隆の『青春漂流』(講談社文庫、1988年)は文字通り「青春」をテーマにしており、二十代から三十代の、著者の立花にとっては若いが一廉の人物になっているプロが複数出てくる。その中に宮崎学という動物カメラマンが出てくるのだが、その幼少時のエピソードを読んで、自分のことを思い出してしまった。

宮崎は、飼うのが難しいとされる野鳥を子供の頃からたくさん飼っていたそうで、学校の勉強はできなかったが鳥や動物に関してはすでに「達人」だったという。小学六年の頃には野生のリスを捕まえてきて飼育し、「コロ助」と名付けて愛玩していた。しかし、コロ助がアオダイショウに呑まれてしまい、助けようと腹を裂いてみたがすでに溶けてしまっていた。この出来事が宮崎にはとてもショックだったらしく、そもそも野生のリスを飼っていた自分もいけないと反省する。そして飼っていた野鳥もすべて野生に返してやったのだという。

その体験が、宮崎が野生の動物を野生のまま愛するようになる転機になったというのだが、そのくだりを読み、感慨が深かった。

というのも、私自身、子供の頃は虫やカエルをよく捕まえていて、葉群に潜んでいるバッタや岩間に隠れているカエルを見つけるのが得意だった。

つまり虫や動物が大好きだったのだが、子供の「好き」は一方的である。私も宮崎のように森でカマキリを捕まえては虫かごで飼ったり、あるいはたくさん捕まえた蝉をまとめて殺してカマキリのエサにしたりと残虐なこともやっていた。

動物園や水族館は今でも好きだが、動物や魚や虫を捕まえて限りあるスペースに押し込み、観賞物にするのは、決して生き物たちにとって幸せとは言えない。

さて、私は15センチ以上あるだろうオオカマキリを捕まえてきて虫かごで飼い、バッタを放り込んでエサにしていた。夏の暑い日でも昼間から飽かず虫かごを眺め、カマキリが一瞬でバッタを捕まえる様子を見て昂奮していた。

ところが、そのカマキリがあるとき脱皮したが、腹と羽根がぐにゃぐにゃに曲がった不完全な状態だったのだ。単に脱皮したてで形が整っていなかったのではない、畸形というか、明らかにこのまま見ていても普通の状態に戻っていくことはないだろうと思われるほどだった。

それを見た父は、これは栄養失調のまま脱皮したのに違いない、林にかえしてやれ、と言った。不完全な脱皮の正確な原因は今もわからないが、私は父の言う通りにした。

これがつらかった。翌日、川ぞいに広がる林の中に放してやったのだが、別れの言葉を言うと滂沱たる涙が流れてきて、涙で前もろくに見えなくなり、一人嗚咽しながら林を後にしたのだった。

今の私は虫は一切飼わず、蝉やバッタやトンボを外で見つけたら手で捕まえることはあるが、羽根などを傷めぬようすぐに放してやる。虐待ばかりしていた私がいつからそんなに優しくなったのか、正確な時期は思い出せないが、『青春漂流』の宮崎のエピソードを読んで、恐らくあのカマキリとの別れが一つの分岐点になったのではないかと思った。