杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

佐伯一麦と「労働」

ワイズ出版の『いつもそばに本が』(2012年)は、朝日新聞読書一面に連載された著名人73人の読書エッセイを編集したものである(コーナー名は1993年9月5日から2001年3月11日までが「いつもそばに、本が」、2001年4月1日から2004年3月28日までが「いつもそばに本が」)。その中に、佐伯一麦の回がある。初出は2003年11月30日、12月7、14日である。

その内容が、いい。幼少時に読んだ童話、上京後の電気工や配電盤制作の仕事をした時期に読んだシモーヌ・ヴェイユなどの日記、青年期に読んだ真山青果などの自然主義文学について、その時期の状況や心象と共に書いている。

 労働の悲惨さというものは確かにあるが、その内側では、そのこと自体をも肯定している精神状態が確と存在しているということ。労働する人間に不幸をもたらす原因を取り除くのは、労働に美しさを取り返させること。元来病弱だったヴェイユが、命懸けでつかんだ労働の観察の結果は、画を描くことを労働と考えていたゴッホにも相通じる。そしてその認識は、私もまた、手放すことはできなかった。
 私にとって、小説を書くことは、芸術というより先に、かつての労働がそうだったように、自分を肯定的に捉えるための手段である。

思わず、佐伯先生!と言いたくなってしまった。生意気なことだが、私の労働観はこれと同じであり、人生、「よい労働」をして過ごしたいと思っている。

ヴェイユの著作は未読なので、果たして工場労働をヴェイユがどう捉えていたのか、正確にはわからない。また「かつての労働」というと、私は奴隷労働のようなものを思い浮かべてしまうが…。

仕事とは労働をして対価を得ることであり、労働とは価値のないものに手を加えて価値を付与することと考えている。それは創造的な行為だと言えると思う。人は、創造をすることで自分を肯定できるんじゃないか。そんな風に考えている。