杉本純のブログ

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志賀直哉と佐伯一麦

私小説の議論

日本文藝家協会編『ベスト・エッセイ2002 落葉の坂道』(光村図書、2002年)は、作家77人の短いエッセイを集めたもので(77篇)、表題作は三浦哲郎のもの。解説はありませんが、普通に考えて、2002年に発表されたエッセイから選りすぐった77作なのでしょう。編纂委員は高田宏、津島佑子、増田みず子、三浦哲郎三木卓の五人です。

その中に、佐伯一麦の「川の土手の光景」があります。これは志賀直哉の没後30年に合わせ、志賀とその作品について述べたもので、初出は毎日新聞10月31日夕刊です。タイトルは、川の土手の光景にこそ志賀の感受性の源泉がある、という考えを述べたもの。

その最後には、佐伯は志賀の「書いて疲れる。湯に入る。寝転んで本を読む。それでなければ、散歩する」という創作法を実践していることが書かれています。佐伯が志賀に言及した文章は他にもありますが、その創作法を実践しているのは初めて知りました。

このエッセイ、佐伯らしい、たゆたうような筆致で味わいがありますが、特に面白いのは冒頭でしょうか。

 近頃の小説はちっとも小説らしくなくて、という嘆きをよく耳にする。我々にも耳の痛い話だが、そう口に上らせる人の小説らしい小説のイメージをさらに問うてみると、豊かな語り口においては大谷崎の、簡潔な文章においては志賀直哉の作品が思い浮かべられていることが多い。

佐伯は「谷崎はこの場合おいておくとして」と書き、志賀に言及して、日本近代文学私小説についての議論は対象を固定したものになりがちで、肯定する側も否定する側も百年一日のごとくしか語り得ない、と書いています。そして、そうした作品と我々(現役作家)の関係はまだ安定しておらず、いつでも価値の転倒が起こり得ると考えている、と述べています。なるほど。

それにしても、佐伯は谷崎のことをどう考えているのか、このエッセイからは分かりません。他にも谷崎に言及したものは多くない気がします。