杉本純のブログ

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佐伯一麦「いつもそばに本屋が」

朝日新聞2021年11月14日朝刊1面の鷲田清一「折々のことば」は、佐伯一麦の随想「いつもそばに本屋が」(前野久美子編『仙台本屋時間』(ビブランタン、2021年)所収)の一節を紹介しています。

子供というものは、大人が思うほど子供っぽくなく、孤独に耐える悲しみや大人同様のきつさが付きまとっていた

これについて鷲田は、「老いも幼きも、それぞれの場所でもがき、あがいて生きている。自分が今いる場所、向かうべき方角が見えないという焦燥に、人は幾つになっても苛まれ、ついに平穏を得ない」と述べています。

子どもは、傍から見て窺えるほど無邪気でなく楽観的でもない、子どもは子どもなりに悩み、焦燥に駆られている、といった意味でしょうか。能天気に生きている子どもはもちろんいるし、大人になっても能天気なまま、という人もいますが、これはこれで佐伯らしい人間観ではないかと思います。

佐伯の私小説で主人公が未成年のものといえば、「静かな熱」「朝の一日」『ア・ルース・ボーイ』などがあります。主人公たちは「子ども」というほどでもありませんが、大人でもなく、かといってあどけなさなどとは無縁です。辛い過去を抱え、小説の時間の中でも厳しい現実を必死に生きています。それはそのまま佐伯の実人生だったと思われますので、「折々のことば」に引かれた一節は、佐伯自身の強い実感からきた言葉だと思います。

今回、佐伯の言葉を孫引きしてしまいましたが、この『仙台本屋時間』、近所の本屋では売られていないこともあり、未入手です。読みたい。

さて、「いつもそばに本屋が」というタイトルを見てすぐに思ったのが、かつて朝日新聞で連載された著名人による読書エッセイ「いつもそばに本が」です。佐伯もこのエッセイでシモーヌ・ヴェイユの日記や真山青果の本を紹介しました。「いつもそばに本屋が」は、そのエッセイタイトルを意識して付けられたのではないか…と思いました。