杉本純のブログ

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議論の不毛

会社をはじめ、ある目的の下で複数の人間が活動する集団では、多くの場合、全体を統括する立場の人がいるだろう。その人は、実際に最前線で動く立場の人などに指示を出し、その通りに動いてもらうことになる。言われた側の最前線の人は、指示されたことをきちんと実行して結果を出すことが求められる。

指示を出す側と出される側の間で、その指示の是非をめぐって議論が起こることがしばしばある。それはだいたい指示された側からの反論なのだが、それは基本的には不毛である。議論の主眼が、指示内容(最前線の人がこれから行うこと)の正しさそのものを問うものであればまだ良いだろうが、指示内容が決まった上で指示が出されたのに、その是非を議論しても仕方がない。製造現場でAという製品を作るのに、B、C、Dという手順を踏め、と言われたのに対し、いやぁ自分はC、B、Dの方が良いと思うんですが…などと言うのは意味がない。というより、言うべき場面を間違えているのである。もし製造の手順がおかしいと思うなら、まずは現場でそれなりの結果を出し、手順を考えている人と議論ができる機会を得た上で話すべきである。

言われた側は、言われたことを真面目にやれば良い。納得できないことも多いだろう。しかし、やるのが言われた側の役目であり、いちいち納得する必要はない。そして、好ましいものであろうとなかろうと、出た結果に対し、指示を出した側が正当な評価してくれないようなら、そいつはその程度の奴だということだ。そういう奴は少なくないが、そんなことはどうでもいいのである。