杉本純のブログ

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船と船員

ある人と会社での働き方の話をしていて、ちょっと考えた。その人は、会社経営、運営において最も重視しなくてはならないのは社員のモチベーションだと言っていて、その話しぶりからすると、会社は社員がモチベーションを維持向上できるようにしていく義務がある、と言いたいんだろうと思った。

その人がそういうことを言ったのには理由があった。かつて、ある会社の経営者がある施策を断行し、その結果、多くの社員が辞めてしまったことがあったのだった。

私はそのことを知っているので、その人がモチベーションを大事にするのが大切だ、という気持ちがよく分かる。

これは話し出すとキリがないことで、会社というのは一隻の船のようなものだと私は考えている。会社がある目標を達成するためにある施策を実行するということは、船が、ある島を目標として定め、そこへ向けて航行していくのと同じ。社員は会社の決定に対し、粉骨砕身して貢献するのが義務であり、船員の場合は、船が良い形で目的の島に辿り着けるようそれぞれの持ち場で全力を尽くさなくてはならない。

もし、会社が決めた施策が自分の意にそぐわない、モチベーションが上がらない、というのであれば、それは会社が進む方向において自分の居場所がない、ということだろう。それで別の環境に移りたければ、思い切って移るのが最も良い。逆に、会社を辞められない事情があり、しがみつきたいのであれば、モチベーションもクソもない、辛かろうが嫌だろうが会社の施策に全力で貢献しなくてはならない。

船員も同じことで、船が行こうとしている島に自分は行きたくない、もっと別の島や国に行きたいというのであれば、船を降りるのが最も良い。事情があって船を降りられないのなら、粉骨砕身して船の航行に身を捧げるしかないだろう。

逆に、では会社が社員の喜ぶことをどんどんしたらどうだろう。十人十色の社員がやりたいことをどんどん受け入れたら、社内はチームも課も部もバラバラになって、やがて会社そのものが破綻してしまうかも知れない。そんなのは自分勝手な社員が馬鹿だからいけないのだという意見もありそうだが、ではモチベーションが上がることと自分勝手との境目はどこにあるのだろう。十人いれば、その境目はそれぞれ違うはずである。

船も同じで、船員が船の中で俺はこれをやりたい、あれをしたい、などとそれぞれ言い出したらどうなるだろう。いかに優秀な船員が集まっていたとしても、やがて船はきちんと航行できなくなり、島に辿り着けず遭難するか沈没する。

会社は社員のためにあるのか、社員は会社のためにいるのか、という議論は永遠のテーマだと思うが、少なくとも会社という場は社員の要望が何でも通るところではないのは事実。

もちろん会社だって、経営者があれしたいこれしたいと我がままばかり言えば、振り回された社員はやがて嫌気が差して会社を辞めるだろう。それが重なれば会社そのものが傾くわけで、こんどは経営者が窮地に立たされる。船も同じ。

だから、会社の中で、この方向に会社が進むのは良くない、変えるべきだ、というのは言ったって良いし、言わないと本当におかしな方向へ行ってしまうかも知れない。言うべきだと感じたら言うのが良いと思う。

雇う側と雇われる側の関係というのは、常にそういうものだと思う。ただ無言で従っているのは良くないし、我がままばかり言っていてもダメ。自分の考えを述べつつ、会社がこちらへ行くと決めたら、ついて行くか、自分は別の道を行くか、考えて決めなくてはならない。