杉本純のブログ

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佐伯一麦「転居記」

佐伯一麦の短篇「転居記」を読んだ。これは「海燕」1986年3月号の掲載されたもので、私は『雛の棲家』(福武書店、1987年)で読んだ。

内容はタイトルの通り、主人公家族の引っ越しの経緯を描いたものだ。それだけだとひどく地味なようだが、実際かなり地味である。ただし、これは私小説なので、佐伯の人生のある時期のことを知る上ではいくつものヒントがあると考えられる。また、この時期の佐伯の私小説らしい、男女の濃密で乱れた関係を窺わせる記述があり、読み応えがある。

小説の筋の中心は、主人公の妻が電話で知らない男から執拗な性的嫌がらせを受け、それに夫婦で対処する過程である。嫌がらせに関連して夫婦の子供にトラブルが起き、都内から郊外に引っ越すまでが描かれるが、その中に主人公の、妻に対する複雑な思いが差し込まれる。回想的な記述がいろいろなところに挟まれるので読者は時系列を整理しにくいが、それは佐伯の小説の大きな特徴である。

主人公は「仕事(バイト)先のビール工場でかなりの残業稼ぎをしなければならない」状態にある。六畳間と四畳半ほどの広さの台所があるマンションの家賃を払うためである。

佐伯がビール工場で働いていたのは事実である。正確にはサントリービールの武蔵野工場で、そのことは佐伯の『読むクラシック』(集英社新書、2001年)などの随筆の類いに書かれている。なお佐伯は、そうしたサントリーとの縁からサントリー元会長の佐治敬三と対談したことがある。

『読むクラシック』によると、佐伯は武蔵野工場で働いていた時、東京に住み、デビュー作となる小説(恐らく「木を接ぐ」)を執筆していた。私はそのくだりを読み、おかしいな…佐伯が「木を接ぐ」を書いたのは神奈川県川崎市多摩川近くのアパートのはずだから、東京ではないだろう、と思った。だが「転居記」後半で主人公夫婦は多摩川に近い場所のアパートに引っ越すので、もし小説が事実そのままなら、東京にいる時期にも書いていたことになる。

さてその東京の転居前のマンションだが、これは小説内の記述から、山手線大塚駅が最寄り駅だったことが分かる。小説に「山手線」という言葉が出ているし、「空蟬橋」という大塚駅近くにある陸橋も出ている。また妻が子供にトラブルが起きた時に連れて行く病院の名前が「山口病院」とあるが、これは大塚駅から歩いて行ける場所に四十年以上前から存在する。

小説中の転居先である多摩川に近いアパートも、上述の通り佐伯が実際に住んでいた所である。佐伯はここに住んでいる時にデビューし、作家として歩み始め、近くに住んでいた島田雅彦と仲良くなったりする。郊外への転居は、佐伯にとって人生の転機にもなったと言えるかもしれない。