杉本純のブログ

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斎木クロニクル

佐伯一麦の『遠き山に日は落ちて』(集英社文庫、2004年)の池上冬樹による解説を読んでいたら面白い箇所があった。

主人公斎木の周辺の人物に目を転ずると、小学二年の息子(八三頁)は『鉄塔家族』では十四歳の家出少年として出てくるし、仙台の居酒屋の女将(七〇頁)や喫茶店をやっているマスターとパートナーの女性(二二四頁)も斎木クロニクルの常連で、『鉄塔家族』のラストでは、本書と同じような宴会が開かれるが、事情は大きく変わっている。どう変わっているかはぜひお読みください。作品の細部が遠くこだましあい、クロニクルを切ないものにしているのである。

「斎木クロニクル」という言葉は初めて見た。佐伯作品の読者の間では知られた言葉になっているのかも知れないが、私は佐伯と佐伯関連の文章は割と広く読んでいるつもりではあるもののまだ見たことがなかった。

要するに佐伯の私小説群を一つの年代記とした場合の呼び方である。「人間喜劇」や「ルーゴン=マッカール叢書」、「ヨクナパトーファ・サーガ」、「紀州サーガ」、「神町サーガ」といった小説群の佐伯私小説版ともいうべきもの。西村賢太も同じような私小説群を構想していて、「大河私小説」などと言っていたと記憶する。

それにしても、佐伯の私小説群には「息子」や「女将」以外に重要人物が多くいる。なかんづく重要なのはやはり「木を接ぐ」や『ア・ルース・ボーイ』とその周辺作品に出てくる前妻と彼女だろう。また私は、「端午」に出てくる「座間見」が印象深い。

「斎木クロニクル」を年代、登場人物を整理し一覧化してみるのも面白そうだ。