杉本純のブログ

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「小説を書くことを嫌がっていたので…」

佐伯一麦と逗子のアパート

佐伯一麦『Nさんの机で』(田畑書店、2022年)を読んでいます。本書は「ものをめぐる文学的自叙伝」とサブタイトルにもある通り、佐伯が自身の人生を、モノとともに振り返って語る内容です。私としては、他の佐伯資料と比較をしながらじっくり読むべき本といえるでしょう。

最初の章「机」には、米沢市に住む木工家のNさんに執筆用の机を作ってもらう経緯が書かれ、机にまつわる過去の出来事も紹介されていて、面白いです。

その出来事の一つは、佐伯が三十代になったばかりの頃、逗子のアパートを借りてそこに机を持ち込んだことです。私は佐伯が逗子に住んでいた経験があること自体は知っていましたが、本書を読むまでその詳細は知りませんでしたので、新しい情報です。

逗子のアパートは家族で暮らしたのではなく、佐伯が一人で執筆用に使っていたのでした。それは三島由紀夫賞を貰って間もない頃ですが、アパートを探した理由について次のように書いてあります。

それまで、電気工や電機工場の工員との二足の草鞋を履いていたのが、作家専業となる目処が付いた。そこで私は、逗子にアパートを借りて仕事場にすることにした。当時結婚していた前妻は、私が小説を書くことを嫌がっていたので、家で執筆することは出来ず、それまでの『ショート・サーキット』『ア・ルース・ボーイ』などの作品は、出版社の缶詰部屋や自腹を切って借りたウィークリーマンションで書き上げたものだった。

佐伯の妻が、佐伯が私小説を書くことを嫌がっていたのは、その私小説に書いてあることです。佐伯が三島賞を取った作品は『ア・ルース・ボーイ』ですが、逗子のアパートを借りたのはそれ以降のことで、それ以前には缶詰部屋やウィークリーマンションを使っていたということです。

それにしても、佐伯は三島賞を受賞した頃は茨城県古河市に住んでいたはずで、逗子ではさすがに遠すぎるし、東京からでもかなり遠いので、どうも不自然です。

実際、佐伯はこの部屋ではほとんど仕事をせず、海をぼんやり眺めるだけの鬱病のような状態だったらしく、もしかしたらそういうボーッとできる場所を探していたのかもしれませんが、それでもあまりに遠いと思います。

Nさんの机で