杉本純のブログ

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家族は自作を読むか

佐伯一麦山田詠美の対談「内面のノンフィクション」は、「海燕」1991年8月号に収録された。佐伯が『ア・ルース・ボーイ』で三島賞を受賞した後、「海燕」編集部から対談企画を持ち掛けられ、相手に山田を希望して実現した。私はこのたび、山田の対談集『内面のノンフィクション』(福武文庫、1994年)を入手して読んだ。

同世代の作家による対話は実にざっくばらんで、読みやすい。その中で、自分の小説を家族は読んでいるか、というくだりがあって、なんだか考えさせられた。

山田 (前略)身近なものを題材に選んで小説を書くという場合、どうしても家族のこととか書く場合が多くなるけど、読まないの? 家族の人は佐伯くんの小説。
佐伯 そうだね。最初の作品しか読んでないね。
山田 へえ。私んちなんて外人だからよかったって思うのと読んで欲しいのと複雑な気持ち。
佐伯 うちの女房も読まないからよかったということはあるかもしれないね。
山田 読んでいちいち傷ついている夫婦ってのもいるみたいよ。
佐伯 そういうのはないな。

佐伯の「最初の作品」とは「木を接ぐ」だろうが、これは主人公の妻の出産の経緯を描いた私小説で、作中の妻は佐伯の妻本人と同一である。「木を接ぐ」を読んで以降、佐伯の妻は佐伯の作品を読んでいないことになる。