杉本純のブログ

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「蚊の鳴くような声」

佐伯一麦の『芥川賞を取らなかった名作たち』(朝日新書、2009年)は、文字通り芥川賞を取らなかった小説の魅力を語った本である。なお佐伯自身は「端午」と「ショート・サーキット」で二度、芥川賞の候補になっているが、いずれも受賞を逃した。

その第9章、森内俊雄「幼き者は驢馬に乗って」について述べている中で、興味深い箇所がある。

〈電話のベルは縁の下のこおろぎのようにかすかである〉。これはすばらしい表現です。かすかな音の比喩としては「蚊の鳴くような声」という言い方もありますが、それを使ったら通俗的な文章になってしまいます。
 僕はデビュー作の「木を接ぐ」で、主人公の妻が破水して子どもを産みそうになるシーンで「蚊の鳴くような声を絞り出した」という表現を使ったんです。これは海燕新人文学賞を受賞した作品なんですが、選考委員だった瀬戸内寂聴さんに、受賞は賛成するけれど「蚊の鳴くような声」と書く通俗性だけは改めてもらいたい、と選評に書かれました。今でもその言葉は胸に刻まれています。そういうものなのです。

佐伯が瀬戸内について言及するのは、私が知る限りでは珍しい。佐伯の随筆で名前を見たことはあったはずだが、発言を取り上げて自分の見解を述べたりしたことはほとんどなかったのではないかと思う。

ちなみに瀬戸内の「海燕」新人文学賞の実際の選後評では、佐伯が言及した箇所は次のように書かれている(「海燕1984年11月号)。

 二篇受賞で「木を接ぐ」もあげられたので私も賛成した。ただし「蚊の鳴くような声」などという表現を無造作に使う無神経さは改めてほしい。

比喩というのは、特に純文学の場合は生きていなくてはならないと思うので、たしかに「蚊の鳴くような声」というのはいただけないと思う。新聞や読み物雑誌の文章なら、むしろ歓迎される表現だろう。