杉本純のブログ

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川崎市役所は左翼の牙城だった?

佐伯一麦に関する色んな本を読む一環で島田雅彦の自伝小説『君が異端だった頃』(集英社、2019年)を読んでいるのだが、何とも興味深い一節があった。

小説では「君」と書かれている主人公の「島田雅彦」は、中学を出た後、川崎市の北部から南部の県立川崎高校に通い始め、文芸部に入ると個性的な先輩たちに迎えられる。そこである先輩と会話が交わされるのだが、川崎高校には校内で革命を起こしたのに市役所に勤めた人もいる、などと教えられ、

知らなかった? 川崎市役所は左翼の牙城なんだって。

と聞かされるのだ。

佐伯一麦は短篇「静かな熱」で、川崎健民生活新聞社主催、川崎市職員文化会文芸部共催の「第27回かわさき文学賞」に入選し、「木を接ぐ」よりも前にデビューを果たしている。これは1983年のことで、「静かな熱」は川崎健民生活新聞社の「健民生活新聞」や文芸部の同人誌「DELTA」にも発表されている。

島田は1979年に川崎高校を卒業したが、『君が異端だった頃』の記述が事実だとすれば、「左翼の牙城」である市役所に文芸部があり、同人誌を出していたというのは妙な納得感がある。

Wikipediaを参照すると、当時の川崎市長は1971年に日本社会党日本共産党の推薦を受けて当選した伊藤三郎で、伊藤が市役所に就職したのは1951年。市役所の文芸部は1955年頃には「でるた」(のち「DELTA」)の活動を始めており、「かわさき文学賞コンクール」が発足するのは1957年である。

実際に川崎市役所と左翼と伊藤と同人誌がどう関係していたのかはまったく分からないし、左翼と同人誌を即座に結びつけるのは危険だが、この構図はちょっと気になるところだ。まぁ、深く調べたところで佐伯とはあまり関係がなさそうだが。。