杉本純のブログ

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『君が異端だった頃』と佐伯一麦

島田雅彦の『君が異端だった頃』(集英社、2019年)は、帯に「最後の文士・島田雅彦による自伝的青春私小説!」と書いてあり、これは読まねばと思ってさっそく買った。

これは全四部からなる、それぞれが「すばる」2018年6月号、9月号、12月号、2019年3月号に掲載された長篇だが、「自伝的青春私小説」とあるものの小説なので一応フィクションである。とはいえ、こういう作品を雑誌掲載時に嗅ぎつけられず単行本になってから読むとは、不明を恥じるばかりだ。

さてこの小説、面白い。私としては佐伯一麦や「海燕」との接点になるところを楽しみにしていたのだが、きちんと出てくる。

島田が『優しいサヨクのための嬉遊曲』を「海燕」に持ち込んだ時の編集長は寺田博で、これは分かり切っていたことだが、佐伯一麦(小説でもこの名前で出てくる)との仲を述べる箇所では知らないことがけっこう出ていた。

 新婚生活で古巣の稲田堤に舞い戻ったが、同じ町の多摩川の土手に程近いアパートには佐伯一麦が家族と暮らしていた。娘二人と息子一人の子沢山で、生計を電気工事の仕事と私小説でギリギリ立てていた。その頃、商店街の一画でブティックを営む夫婦がおり、夫は小説家志望だった。デビュー前の浅田次郎である。

これが小説ながら事実だとしたら、佐伯のみならず浅田次郎も稲田堤にいたとは驚きだ。ネットでちょっと調べてみたら、mixiに、浅田次郎が稲田堤の郵便局通りでブティックをやっていて、近くにある「美松屋」という本屋に顔を出し、俺の本は売れてるか?と聞いていた、などと書いてあるので事実なのだろう。『鉄道員』が初出の頃らしいので、直木賞を取る頃(1997年)だろうか。もっとも佐伯はその時期になると、すでに稲田堤を離れている。

それにしても、私はタウン誌会社にいた時分、稲田堤にもよく足を運んでいた。郵便局通りはもちろん、商店街中を回っていたものだ。そこにかつて、島田と佐伯と浅田の人生が交錯していた。

佐伯は電気工事を通じ、他人の私生活を垣間見る機会が多いらしく、銀幕スターT田Aの愛人宅に工事に行った折、愛人に迫られて、つい応じてしまったが、タイミング悪く御大が帰宅し、「何してるんだ」と詰問され、「電気工事です」とベタに返して逃げて来たという間男話には笑った。

ほおほお。他人の私生活を見てしまう、といったことは佐伯の私小説にも出てくるのだが、それにしても銀幕スター「T田A」とは…宝田明