昨日の続きになるが、佐伯一麦の「モノ」へのこだわりを窺わせる、というより「モノ」へのこだわりをダイナミックに語った記事を読んだので書いておく。
「文學界」1990年5月号の総力特集「新人作家33人の現在」である。これは当時、活躍を期待されていた若手作家たちへのインタビューをまとめたもので、その頃30歳の佐伯はその一人に数えられている。他の32人は、伊井直行、稲葉真弓、上田理恵、魚住陽子、太田健一、小川洋子、荻野アンナ、桐山襲、小浜清志、坂谷照美、鷺沢萠、佐佐木邦子、笹山久三、佐藤泰志、笙野頼子、竹野雅人、多田尋子、田野武裕、辻章、辻原登、長竹裕子、中村和恵、原田宗典、久間十義、比留間久夫、藤本恵子、夫馬基彦、松本侑子、山本昌代、佑木美紀、𠮷目木晴彦、リービ英雄、である。
インタビューは、佐伯のデビューまでの歩みをまず聞き、次いで佐伯の文学観や生き様のようなものへと踏み込んでいる。
二瓶浩明による佐伯年譜の1978年には、「文学者になるべく、大学進学を拒否し、どんな特権性も持つまいとして、前年十二月、卒業式に出席することなく、上京。」とある。しかしインタビュー記事を読むと、「佐伯さんの作品は日本の小説の伝統的な部分をかなり踏まえてますね。進学という選択肢を拒否したのも、その意味での生活のリアリティーみたいなことと関連が……。」という質問に対し、佐伯は「いや、そんな文学的意味合いは全然(笑)。地元にちょっといづらくなったから東京に出てきたというだけで。まあ、アルバイトでもしながら、武田泰淳についての評論でも書ければ、という気はあったけれども。」と答えている。
佐伯は武田泰淳の小説は今も好きだと言い、続いてこう話している。
あの人には、何ていうのかな、匂い立つ肉体が感じられるでしょう。やっぱり、小説というのは「もの」が豊富に描かれなきゃ駄目だという思いがある。そうして、「もの」の描写というのは、作家にとってイコール倫理なんだと思う。その態度を決めずに、単なる「もの」の名辞にとどまっているような小説はおれには無縁です。
次いで、電気工の体験をもとに書いた「プレーリー・ドッグの街」や「ショート・サーキット」に話が及び、こう語る。
柄谷行人がどこかで、「プロレタリア文学でさえ新しい」という発言を新人作家に向けてしていたけれども、それは自分なりに大いに肯けるところがあるんだよね。おれに言わせれば、彼らはちゃんと「もの」を書いたんだよな。
小説を書く上での示唆があるし、励まされる言葉だ。