杉本純のブログ

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佐伯一麦とアラン・シリトー

COSMOPOLITAN」1991年10月号に、「佐伯一麦さんがすすめる 男の純情、男の気持ちがわかる8冊」という記事がある。1991年は佐伯が『ア・ルース・ボーイ』を発表し、三島由紀夫賞を取った年であり、注目されていたのだろうと思われる。この記事を書いたライターは1990年に発表され1991年に単行本が出た『一輪』にも記事で触れていて、「男の純情」などと書いてあるのが納得できる。

さて佐伯が挙げた8冊は、アラン・シリトー「漁船の絵」、色川武大「離婚」、武田泰淳「もの食う女」、武田百合子富士日記」、三浦哲郎「初夜」、椎名鱗三「美しい女」、カポーティティファニーで朝食を」、ムージル「トンカ」である。

シリトーの「漁船の絵」は新潮文庫長距離走者の孤独』に収められているそうだが、佐伯は「おれ」という一人称の効果を絶賛している。

シリトーといえば、二瓶浩明による「佐伯一麦年譜」(愛知県立芸術大学紀要№35(2005))の1972年(佐伯12~13歳)に、愛読した翻訳小説の一つにその名がある。また、「すばる」1991年7月号に「文庫で読む青春文学」という特集が組まれていて、それは複数の作家が一冊ずつ紹介しているのだが、佐伯がシリトーの『長距離走者の孤独』を挙げている。ここでは『長距離走者の孤独』について直接には言及しておらず、シリトーの小説の登場人物と自分の労働者生活の周囲にいる人々が似ている、といった私的なことを書いており、とはいえやはり「おれ」の使い方の見事さを称賛している。

ちなみに、『一輪』は一人称「おれ」の語りになっている。佐伯の文学や労働者生活に、シリトーは少なからぬ影響を与えているかもしれない。