杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

佐伯一麦と庄野潤三2 ステッドラーの3Bの鉛筆

庄野潤三の本 山の上の家』(夏葉社、2018年)は庄野の作家案内だが、佐伯一麦の随筆「ステッドラーの3Bの鉛筆」が載っている。佐伯が、徳島県立文学書道館で2014年1月に開催された「庄野潤三の世界展」に足を運んだ時のことと、川崎市の庄野宅を2018年春に訪れた際のことを随想風のタッチで書いたもので、その語り口からは庄野への敬愛の念を感じ取れる。

その中に、庄野の長女の名前が「今村夏子」と書いてあり、まさかあの芥川賞作家が?と一瞬思ったが、調べてみると同姓同名の別人だということがすぐわかった。

佐伯が稲田堤のアパートに住み、電気工をしながら小説を書いていた頃、休みの日にはよく多摩区の図書館に行って本を読んでいたことは、このブログで過去に書いた。この「ステッドラーの3Bの鉛筆」にも、同様のことが綴られている。庄野は「文学を志す人々へ」で、会社勤めをしながら文学をやろうとする人は、気力を振い起す以外に道はない、と書き、佐伯はこの言葉を「暗夜の灯火」としていた。私も、この言葉に奮い立たされる気がしたものである。

佐伯は庄野宅を訪れた際、庭の椎の木に梯子を使って登り、そこからは隣の浄水場の広い敷地を見渡すことができたという。そのくだりを読んで、そういえば私は川崎市のタウン誌の会社に勤めていた頃によく浄水場の前を通ったなぁと思い出した。長沢浄水場はたしか外観の意匠が特徴的で、ロケなどにも使われた場所だと記憶している。