杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

たった一人の時間

佐伯一麦はかつて、小説家ワナビに向けた「作家をめざす君に」という随筆を書いた。そこで佐伯は、文学をやるということは世界と対峙するということで、太古から続く生命の流れに耳を澄ますことでもある、といったことを述べた。

学校を終えて社会人になってからもワナビを続けている人は、勤めながら作品を創る時間を捻出するのに苦労するだろう(私である)。結婚して子どもができればなおのこと、自分の時間を作るために四苦八苦するはずである。

さてこの「自分の時間」だが、これは佐伯が言ったように、耳を澄まして世界と向き合う時間、言うなれば「たった一人の時間」であるように思う。単に時間があればいいというものではなく、抽象的だが「世界と向き合える時間」である必要があるのではないかと思う。いうなれば「孤独」ということではないかと。

川端康成ノーベル文学賞をとった時に三島由紀夫が、川端が夜、机に向かって孤独になって取り組んだ結果がこういう世界的な賞につながったことに感銘を受けた、といったことを言っていた。たった一人で世界に向き合った時間に生み出したものが、国境を越えて人の心を打った、ということだろう。

人間は孤独になると気が狂う、と聞いたことがある。しかし、書くには孤独にならないといけないようだ。