杉本純のブログ

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練馬区立石神井公園ふるさと文化館 特別展「作家・庄野潤三展 日常という特別」

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ステッドラーの3Bの鉛筆

練馬区石神井公園ふるさと文化館に行き、特別展「作家・庄野潤三展 日常という特別」を見ました。2021年に生誕百年だった作家・庄野潤三は、川崎市多摩区の丘の上に住んでいたのが有名ですが、その前に八年間、練馬区に住んでいたことがありました。特別展は練馬区居住期を中心に、庄野の人生を作品や書簡などと共に振り返るものです。

今年1月15日から3月13日までの会期中、庄野の長女・今村夏子や、庄野の本『山の上の家』を刊行した夏葉社の代表・島田潤一郎の講演などのイベントがあり、私は後者の講演を狙っていましたが、応募したものの落選したため、展示だけ観に行きました。

私にとって庄野潤三といえば、佐伯一麦が敬慕していた作家の一人です。佐伯は講談社文芸文庫の庄野作品のいくつかに解説を書いているし、上記の夏葉社の『山の上の家』(2018年)にも随筆「ステッドラーの3Bの鉛筆」を寄稿しています。私は庄野本人にはそれほど強い関心を寄せていませんが、この特別展のポスターを見た時、掲載されていた写真の一つに大量の鉛筆を映したものがあり、「ああ、これはステッドラーの3Bの鉛筆に違いない」と思い、見に行くことを決めました。写真の鉛筆はたしかに3Bだったのです。

働きながら書いた庄野

佐伯は庄野の随筆「文学を志す人々へ」の次の言葉に心打たれたといいます。

私は会社勤めをしながら、文学をやろうとしている友人に言うことは一つしかない。ただ気力を振い起す以外に道はなく、それが辛ければ止めるより仕様がない。

自身も働きながら小説を書いていた佐伯にとって、その言葉は「暗夜の灯火」になったのですが、庄野自身も働きながら小説を書いていました。庄野は復員後に大阪で学校の歴史の教員を務め、その後に朝日放送の社員になりましたが、小説家として売れてくると同時に東京で同志と一緒に活動したい思いが強くなり、退職を覚悟して上司に相談したらしい。

また、庄野の恩人の一人である伊東静雄が「文学をやるには閑暇が必要」と庄野に伝えた、とあったのも印象的でした。

写真が撮れなかったのでここで見せられませんが、庄野の愛用の鉛筆「ステッドラーの3Bの鉛筆」(長男・庄野龍也蔵)も展示されていました。見た時は、おお、これこれ!という感じでした。

庄野の人生を著書や書簡といった品々と共に辿っており、分かりやすくて楽しかったです。ちなみに会場で上映されていた映像「山の上の家」は、YouTubeでも配信されています。

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山の上の家―庄野潤三の本